イスラームにおける法体系

前書き

イスラーム国家における司法制度は、様々な訴えから発生したあらゆる種類の法的係争を解決することを目的とした、独立した管理機構です。この制度は人々の間に公正を確立し、不正を阻止し、また不正者を罰することを担うために設けられました。イスラームの司法制度は、聖クルアーンと神の使徒ムハンマドの言行集に依拠した、神とその使徒の指導に従っています。

イスラーム司法制度には、裁判官がその地位に就くために満たさなければならないある特定の条件があります。まず裁判官を志願する者は、その任務の中で様々な困難や試練を克服することが出来るよう、成人で、正常な理性を備えており、良識があり、精神的に健常でなければなりません。また彼はよい教育を受け、イスラーム法に関する知識を備えていることはもちろんのこと、一般常識に関しても十分な知識を持っていなければなりません。また現世的分野と宗教的分野のいずれにも裁決を下す能力を備えていることが必要で、高潔かつ誠実な倫理観に溢れた人物であるべきです。またその判決が係争者のいずれからも受け入れられるような、廉潔な品行の持ち主でなければなりません。

イスラームは裁判官が遵守しなければならないある種の品行を定めています。以下に示すのは、二代目カリフだったウマル・ブン・アル=ハッターブが裁判官の任命を受けたある者に対して送った書簡です。この中には、全ムスリムに対しての指針を汲み取ることが出来ます: 「二代目カリフ・ウマル・ブン・アル=ハッターブより、アブドゥッラー・ブン・カイスへ。あなた方に平安あれ。係争する人々に関しての判決は、以下に示す事柄に忠実に則って実行しなければならない、厳密な義務である。あなた方はまず眼前の人々の言い分を理解するよう、最大限の努力を払うのだ。施行されない権利など、誰をも益しない。それから法廷において人々を平等に見なし、座る場所においてもそのように手はずを取り決めよ。これは有力者などが、その地位によって特別視されるなどと思ったりしないようにするためだ。そして法廷において弱者が正義への希望を失うことがあってはならない。原告には証拠を提示させよ。そして被告は原告の申し立てを否定す るなら、宣誓を行わなくてはならない。また係争中の人々は互いに譲歩し合うことも出来る。但し非合法な物事を合法としたり、あるいはその逆のようなことにおける譲歩案は受け入れられない。またあなた方がある日判決を言い渡したのなら、翌日それを見直すのだ。もしそこに間違いを見出し、正しい判決を出さなかったことを知ったなら、その時は正しい判決を新たに言い渡せ。そして間違った判決に甘んじるよりは、正しい判決を出し直すことの方が遥かにましであることを知るのだ。聖クルアーンや預言者のスンナ(言行集)にその法的典拠を見出せないような困難な事例に関しては、それをよく理解するように努めよ。そしてそれに類似した法規定や判決や事例を研究し、十分な知識を得てからその事例を査定するのだ。それからあなた方の視点において、最もアッラーが愛でられ、最も真実に近いと思われる判決を選ぶのだ。また原告がすぐには証拠を提示出来ないと主張する場合には、その者に一定の猶予を与えてやれ。それでその者が証拠を提示出来たら、その時はそれに沿った判決を下せ。 逆の場合もまた同様である。全てのムスリムの証言は信頼に値するが、但し以前イスラーム社会で恥ずべき行為を行って鞭打ち刑を受けたり、嘘の証言で知られていたり、原告の親類であったりする者のそれは別である。アッラーは人々の全ての隠された秘密をご存知であり、証拠の提示に関してあなたの判決をご援助下さるだろう。心配せず、気短かになるな。アッラーがそこにおいて辛抱することに対し報奨を授けられ、またその結果にご満悦されるところの正しい法的係争をする者たちに関して、不平を述べるのではない。神に対してよい純粋な魂を持っていれば、きっとアッラーは人と社会の関係を改善して下さるであろう。」 ( アッ=ティルミズィーによる伝承:3472.)

宗教や信仰、社会的地位や階級などに関わらず、イスラーム社会における全個人は以下に示すような普遍の権利を有しています:

  • 不正者に対して裁判を求める権利。個人は法廷において不正者を訴えることが出来ます。
  • 裁判における発言に関しての平等な権利。これは預言者ムハンマドが教友アリーを裁判官に命じた時に、彼に次のように指導したことに基づいています: 「アッラーはあなたの心を導き、あなたの舌を(真実において)堅固にされるだろう。あなたの前に原告と被告が腰を下ろしたのなら、一方の者だけでなく別の者の言い分も聞くことなしには裁決を下してはならない。」 ( アブー・ダーウードによる伝承:3582 .)
  • 被告は罪の証明がなされない限り、無実と見なされる権利。使徒ムハンマドはこう言っています: 「人が(他人を)訴えることで(即)与えられるのであれば、他人の生命や財産まで要求することであろう。しかし訴えられた者には、(それを打ち消すための)宣誓があるのだ。」 ( アル=ブハーリー:1711と、ムスリムによる伝承:4277.)
    また初期のイスラーム学者アル=バイハキーが収録している伝承によれば、この伝承は次のように終わっています: 「原告には証拠(の提示)があり、被告には宣誓がある。」
  • 被告が単なる疑念によって、適正な法的手続きや特定の権利を奪われない権利。つまり容疑者はいかなる場合においても、自白させようとして拷問や暴力、残忍な仕打ちや苦痛などに晒させてはいけません。この件に関して、使徒ムハンマドはこう言っています: 「アッラーは、以下の状態にある私の共同体の者をお咎めにはならない:間違いと忘却、そして強制である。」 ( イブン・マージャによる伝承:2053.)
    また第二代カリフであったウマル・ブン・アル=ハッターブはこう言っています:
    「あなた方が苦痛を与えたり、恐怖に陥れたり、あるいは拘束したりして誰かに何かを白状させたりしたら、それは無効である。」 ( アブー・ユースフの「アル=ハラージュ」。)
  • 犯罪者はその個人的責任の範囲でのみ罰されるということ。つまり誰も、他人の過失によって責任を問われることはありません。告発や容疑、刑罰などは犯罪者張本人にだけ向けられる のであり、それがその者の家族や親類などにまで及ぶことはありません。公正なる神は、聖クルアーンの中でこう言っています: -良い行いをする者は自分のために(行い)、そして悪行を行う者は自らに反して(行って)いるのだ。そしてあなたの主は、そのしもべたちに対していかなる不正も施されない。, (クルアーン41:46)

また使徒ムハンマドはこう言っています: 「誰もその兄弟や父親の行った悪行によって、罪を負うことはない。」 ( アン=ナサーイーによる伝承:8:53.)

イスラームにおけるヒスバ(監査体系)

ヒスバとは、イスラームにおける自発的な監査体系のことです。ムスリムはこれをもってイスラーム法実施のために勧善懲悪を行うのであり、また恥ずべき行為や非合法な物品の売買や宣伝、取引などの不道徳な活動、あるいは人の日常的必要品の独占や詐欺などの公けな犯罪に携わる者を戒めるのです。これは、聖クルアーンの次の節における神の命令の実践です: -あなた方は善を命じて悪を禁じ、かつアッラーを信仰するところの、人類に出現した最高の共同体である。, (クルアーン3:110)


このシステムによりムスリムは自発的に公法を調査・検閲し、公の場において個人が権利を侵害されないように、公共空間の状態や治安を保護します。

ムスリムはこの監査活動の義務をおろそかにすること、そしてそうすることによる神の懲罰を恐れなければなりません。聖クルアーンの中には、そのようにして滅ぼされた過去の国々の話が数多く言及されています: イスラエルの民の不信仰者たちは、ダヴィデとマリヤの子イエスの舌によって呪われたのである。それは彼らが逆らい、法を越え、かつ彼らが行っていた悪行を禁じなかったからなの だ。彼らの行っていたことの、何と惨めなことか。 (クルアーン5:78-79)

また預言者ムハンマドの伝承には、イスラーム社会の全個人はその能力に応じてヒスバの任務を積極的に遂行すべきである旨が述べられています: 「悪事を目にした者は、それを手でもって正せ。もしそう出来なければ、舌でもって正せ。そしてそれさえも出来なければ、心でもって正すのだ。そしてそれが最も弱い信仰心である。」 ( ムスリムによる伝承:78.)


しかし犯罪や悪徳の矯正が更なる状況の悪化や害悪をもたらすような場合、それを行うことは許されません。人は勧善懲悪に関して、英知と慎重さをもって行動しなければなりません。
預言者ムハンマドはある時、非常に雄弁な一文でもってこう明快な人権宣言をしました: 「実にアッラーはこの日(アラファの日:ヒジュラ暦の12月9日)、この月(ヒジュラ暦12月のズルヒッジャ月)のこの場所(マッカとその付近の地)における神聖さと同様に、あなた方の生命と富、そして名誉を犯さざるべき神聖なものとされたのだ。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:105.)
この宣言は、預言者ムハンマドが行った最後の巡礼にて、当時最大のムスリムの集会において行われました。そしてこの宣言には、これまで取り上げた殆どの人権が明示されています。イスラームの法と規定は諸権利を保護し、それ侵害する者を厳しく処罰するために定められたのです。

イスラーム的人権宣言

ムハンマド・アッ=ズハイリー博士著「イスラームにおける人権」400頁。

以下に引用するのは、エジプトのカイロで採択されたイスラー ムにおける人権宣言です。しかしこの宣言で取り上げられている諸権利は、単なる一般的な指針や法則に過ぎないということを指摘する必要があります。というのもイスラームにおける権利と義務は、連なる輪のように互いに繋がり合っているからです。尚イスラームの人権における一般的指針と規定は、大きい二つのカテゴリーと、そこから分派するいくつものカテゴリーに分類されます。ここで詳細を取り上げれば長い話になりますから、私たちはこれらについて要約するだけに留めておきます。しかし「イスラームは全ての人権を保護し、来世においては無論のこと、現世においても人類を幸福にするために到来したのである」ということに、間違いはありません。

慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名において

神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を一組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実にアッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の内で最も敬虔な者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。, (クルアーン49:13)

ICO(イスラーム会議機構)の加盟国は、全存在の創造主であり、あらゆる恩恵をお授けになるアッラーを強く信仰します。かれは人類を最良の形に創られ、栄誉を与えられたお方です。アッラーは、人類に対しかれが創造した世界を建設し、改善し、維持することを委任されました。またアッラーは人類が啓示の教えと義務を忠実に守り、天地にある全てのものを人類の福利のために利用することを託されたのです。


また私たちは預言者ムハンマドが人類への慈悲として、隷従する全ての者への解放者として、また全ての暴虐者と尊大な者たちの破壊者として、正しい導きと真実の教えをもって遣わされたことを信じます。神の使徒ムハンマドはあらゆる種類の人々の真の平等性を宣言しました。敬虔さを除いては、人間に優劣はないのです。使徒ムハンマドは、神が一つの魂から創られた人類の間のあらゆる垣根を払い取りました。

またイスラームがその上に成立しているところの純粋な一神教的信仰は、全人類をアッラーのみへの崇拝へと、そしてかれに何 ものをも並べずにかれのみを崇拝することへといざなっています。この一神教的信仰は、人類の真の自由と尊厳、高潔さのもとに成り立っており、人間が他の人間に隷属することからの自由を高らかに謳っているのです。

また永劫のイスラーム法は宗教と理性と尊厳と財産と生命の保護という見地から、人類にもたらされました。加えてイスラーム法は、あらゆる規定や判決において包括的かつ穏健な立場を取っています。そこでは精神面と物質面が奇跡的なまでの調和を保っており、また感情と理性のいずれもが尊重すべきものとされているのです。

イスラーム共同体が人間の歴史を通じて、重要な文化的及び歴史的役割を担ってきたことは強調されるべきでしょう。実にイスラーム共同体は神によって最善の社会とされ、そこにおいて人類は現世と来世の徳を集結した、堅固で釣り合いの取れた国際的文明を築いたのです。この共同体の遺産の一つは、科学と信仰を統合したことでしょう。しかし現代世界ではその風潮と流れによって、信仰の部分が喪失してしまっています。イスラーム共同体は、逸脱した人類を導くという重要な役割を果たすことを望まれています。イスラームは変調した物質文明が抱える問題への、解決策を提示しているのです。

また人類の自由と、その生活と状況の改善に関する権利を強調する目的で、人間を虐待や侵害、暴力などから保護するための人権において努力することは、イスラーム法にも適ったことです。

私たちは、人類が物質的分野においては非常な発展を見たものの、いまだにこの先進文明の偉業を維持するために必要な、信仰に基づいた大きな精神的援助を必要としている、ということをご説明しました。そしてこれこそが社会における人権保護のために、真に必要なことなのです。

私たちは、基本的権利と自由とはイスラームという宗教と信仰において、不可欠なものであると信じています。完全であれ部分的であれ、いかなる者もそれらを阻む権利を有しません。これらの基本的権利は、啓典によって全ての使徒に啓示された神聖なものです。事実、それ以前の使徒や預言者たちのメッセージと任務を完遂させた最後の使者ムハンマドもまた、これらの本質的権利を携えて神から人類へと遣わされたのです。イスラームによれ ば、これらの本質的権利を遵守することは一種の崇拝行為と見なされる一方、それらを侵害することはある種の悪行であると見なされています。全個人にはこれらの権利を固守する責任があり、また社会全体としてもそうする集団責任があるのです。

以上のことに基づき、ICO参加国は以下のことを宣言します:

  • 第一条
    全人類は一つの大きな家族のようなものである。彼らは神のしもべとして一つの旗のもとに結束しており、また彼らは皆アダムの子孫である。また全人は人間の尊厳という点において皆平等であり、責任という観点からも平等である。人は人種や肌の色、性別、宗教、政治的立場、社会的地位などその他の要素によって差別されることはない。優れた真の信仰とは、人類の統合を確信かつ保障するもののことである。
    人類は全ての創造物の中で最善のものである。そして敬虔さと善行を除いては、人間同士の優劣を決めるものはない。
  • 第二条
    生命は神からの贈り物であり、全人類に保障されている。全ての社会構成員と全ての国家はこの権利を、あらゆる種類の侵害から保護しなければならない。法的に正当な理由がない限り、いかなる生命も侵されてはならない。
    また、人類を抹消するような道具や手段を用いることは許されない。人間の生命を維持することは一つの法的義務である。 同様に人間の身体的安全も尊重される。いかなる者も他人の安全を害する権利はなく、合法的理由なくしてそこに立ち入ることは出来ない。そして国家はこの権利を保障しなければならない。
  • 第三条
    軍事力を行使する場合、あるいは交戦状態において、実際の戦闘に参加していない者を殺害することは許されない。老人、女性、子供、負傷者や病人などは保護される権利がある。また戦争捕虜は衣食住を保障され、交換されなければならない。戦死者の遺体を損傷するような行為は禁じられ、戦争によって離れ離れになった家族は再び一緒になる配慮を施さなければならない。
    また交戦中に敵軍の損失のため木を伐採したり、農作物や家 畜、建築物や国家施設などを損傷したり破壊してはならない。
  • 第四条
    全人は存命中も死後も、そのあるべき無傷な状態と尊厳、名誉を保障される。国家と社会は死亡した者のために、埋葬地を確保しなければならない。
  • 第五条
    家族は社会の基本的単位である。そして結婚は家族を構成し建設する基礎である。男女には結婚する権利があり、人種や肌の色、国籍などゆえに結婚する権利を制限されるようなことがあってはならない。
    社会と国家は結婚を妨害するようなあらゆる障害を除去する必要がある。むしろ結婚を容易にし、家族の保護を試みるべきである。
  • 第六条
    男女は人間としての完全性と尊厳において、平等である。女性には平等な権利と義務があり、一個の国民として経済的にも独立している。また自分の名前や苗字を保持する権利もある。
    また男性はあらゆる面においてその扶養家族を経済的に配慮する義務があり、彼らに対して可能な限りの保護と世話をしなければならない。
  • 第七条
    全ての子供は両親と社会、そして国家に対して、監督と養育、また物質的・教育的援助、道徳的指導を受ける権利を有する。また胎児と妊婦も特別な配慮を払われなければならない。
    また両親と後見人は、その子供のために望む養育の種類を選ぶ権利を有する。しかし子供の将来における福利は、倫理とイスラーム法的価値観と指針に沿った形で考慮に入れられなければならない。
    また両親も子供に対して自らの権利を有する。そして親戚もイスラーム法とその指針に沿った形で、互いに対する権利を有する。
  • 第八条
    全個人はその全ての権利を行使する権利がある。もし部分的にでもその権利を行使出来ないような状態にある場合、それらはその後見人に委託される。
  • 第九条
    教育を受けることは全人の権利であり、義務である。教育と学習は社会と国家に課された一つの義務であり、国家は教育手段を確保し、かつ社会構成員の福利と繁栄に奉仕するための教育メディアの多様性を保証しなければならない。また教育は人にイスラームという人生の指針や自然科学、そしていかにして物質的手段を人類の福利のために利用するかという点についても教えてくれる。

    全人は家族や学校、大学やメディアといった多様な教育機関によって教育を受けることが出来る。彼らはその個性を生かし、全能なる神への信仰を強化し、かつ人間の権利と義務への尊重の念を高めるような、調和の取れた包括的な世俗的及び宗教的教育や訓練を適切な形で受けることが出来る。

  • 第十条
    人間は、自然かつその天性に合致する生得的な宗教に従う必要がある。ゆえに誰にも、人間の先天性に反するような何かを他人に押し付けたり、強制したりする権利はない。また何ものも他人の経済的・肉体的弱さや無学に付け込んで、その宗教を変えたり、あるいは無神論者にしてしまったりするような権利はない。
  • 第十一条
    人間は生まれながらにして自由である。何者も人を奴隷化したり、陵辱したり、支配したり搾取したりする権利はない。人間は全能なる神以外の何かに隷属するようなことがあってはならない。またあらゆる形における植民主義や侵略主義は完全に禁じられており、それらは奴隷制の中でも最悪の形式である。人は自分の生き方を自分で決定する権利を有するのであり、全人はあらゆる種類の占領や植民地主義に対しての正義の戦いのために助け合う必要がある。また全人は自らの独立した国家と個性を保護し、その天然資源を自ら管理する権利を有している。
  • 第十二条
    全人は自分の属する国家、あるいはそれ以外の場所に適切な定住の場を選択するという、移転自由の権利を有する。また人は自分の属する国家で安全を確保出来ないような場合、別の国へ亡命する権利がある。そして亡命の受け入れを提供する国家は、彼らの亡命の理由が刑罰に価する犯罪ものではない限り、彼らを保護しなければならない。
  • 第十三条
    国家と社会は能力のある全ての者に、就職の機会を保障しなければならない。全個人は彼自身と社会の福利を保障する、適切な職業を選択する自由を享受することが出来る。被雇用者はその安全と、あらゆる社会福祉保険や保障制度を受ける権利があり、また能力外のことを請け負う必要はない。また被雇用者は自分の意思に反して何かを強制されてはならず、搾取されたり害悪を蒙ったりしてもならない。被雇用者は性別の差なく報奨を受ける権利を有し、その支払いが遅れてはならない。また定期的な休暇や昇進、特別手当やその他の然るべき権利などを享受する。また被雇用者はその任務を完遂するために、その時間と労力をもって奉仕しなければならない。もし雇用者と被雇用者の間で諍いが生じた場合には国家がそのような争いを解決し、不正を除去し、正義を行使するためにその間に仲介に入る。そしていかなる偏向もなく、両者に対して公正な判決を下す。
  • 第十四条
    全個人は合法的収入を得る権利がある。物資の独占やあらゆる種類の詐欺、利子や自分や他人を害することなどは全て許されない。事実これらの物事はイスラーム法上禁じられている。
  • 第十五条
    全個人は合法的な所有権を有する。但し所有権の享受は自分自身や社会に属する人々、あるいは社会全体に有害ではない限りにおいてのことである。また私的所有権は公共の福利や緊急事態、適当な代替物の存在などの条件が揃わない限り、侵害されることはない。また合法的理由がない限り、いかなる財産の押収も許されない。
  • 第十六条
    全個人はその物質的生産や著作物、工芸品や技術製品などから利益を得る権利を有する。同様に全個人はその製作品や生産物がイスラーム法に抵触しない限りにおいて、そこから生じる文芸的、あるいは経済的利益を保護する権利がある。
  • 第十七条

    全個人は物質的汚染や道徳的腐敗といった意味において、清潔な環境の中で生活する権利がある。そしてまたそのような環境の下で、人の道徳的性格は形作られる。社会と国家はこの権利を人々に保障し、提供しなければならない。

    また社会と国家は全個人に対し、あらゆる公共施設と利用可能な手段を用いて、適切かつ最低限の健康・医療ケアを提供する義務がある。

    また国家は全個人とその扶養家族に対し、よい生活環境を提供する。この権利は適切な衣食住の提供や十分な教育、医療サービスなど、その他の基本的需要をも包含する。

  • 第十八条

    全個人は社会において宗教や信仰、家族や尊厳、財産といった個人的諸事に関して安全を保障される。

    また全個人は住居や家族、経済やコミュニケーションといった個人的諸事において独立性を持つ権利を有する。いかなる諜報や監視、あるいは中傷などによってそれらの権利を侵害されてもならない。また個人は、正しい証拠に基づかないあらゆる推測から保護されなければならない。

    また家宅や住居のプライバシーは保護され、住居主の許可なしにその中に立ち入ることは許されない。私的所有住居は合法的理由が存在しない限り取り壊されたり没収されたりすることはなく、賃借人も立ち退きを求められることはない。

  • 第十九条
    統治する立場にある者も、される立場にある者も、全個人は平等な法的権利を有する。
    全個人は訴訟において法的判決を求める権利を有する。犯罪と
    刑罰はイスラーム法に則らなければならない。
    被告はその犯罪が証明されるまで無実である。また起訴に対する自己弁護のためのあらゆる保障がなされる、公正な裁判が義務付けられる。
  • 第二十条
    いかなる者も適切な法的処置なしに逮捕されたり、自由を拘束されたり、追放されたり罰されたりしてはならない。また肉体的・心理的拷問などの、いかなる屈辱的な扱いをされてもならない。またいかなる者もその同意なしに、健康を害する恐れのある医学的実験などに晒されることはない。また行政権は例外法を発布する権能を有しない。
  • 第二十一条
    いかなる目的や形式においても、誰かを人質に取ることは許されない。
  • 第二十二条
    全個人はそれがイスラーム法とその教義に反しない限りにおいて、自らの主張を表現する権利を有する。また全個人はそれがイスラーム法とその教義に反しない限りにおいて、勧善懲悪活動に参加することが出来る。
    メディアと広報は社会の命脈の源泉である。メディアは私的目的のために用いられたり、悪用されたり、あるいは預言者ムハンマドの名誉を貶めたり、非倫理的な物事や腐敗を及ぼすようなことに利用されてはならない。また社会の分裂や道徳的腐敗、危害や不信仰を生じさせるようなあらゆる物事は禁じられる。
    また民族主義や党派主義など、あらゆる種類の差別主義は許されない。
  • 第二十三条
    後見は背くべからざる一つの信託である。基本的人権保障のためにも、その背反は厳しく禁じられる。
    全個人は直接的にせよ間接的にせよ、属する国の公共行政に参加する権利を有する。また同様に、イスラーム法とその規定に基づいた公的任務に従事することが出来る。
  • 第二十四条
    この宣言にある全ての権利と自由は、イスラーム法とその指針の枠組みにおいて包括的なものである。
  • 第二十五条
    イスラーム法とその指針は、この宣言の各項目に関する説明と詳細における唯一の源泉である。

ヒジュラ暦1411年4月14日
(西暦1990年8月5日) カイロにて 上記の諸権利を決定し、受容することが、真のイスラーム社会を建設するための正しい第一歩となるでしょう。そして真のイスラーム社会とは、以下に示すような特徴を備えた社会です: 以下は国際イスラーム人権宣言からの抜粋です。

公正さという概念のもとに成り立つ社会。人はその起源や人種、肌の色や言語によって差別されません。また人間は抑圧や不正、陵辱や隷属などから守られなければなりません。全ての創造主である神は、人類を他の被造物の上に位置する栄誉高い存在とされたのです。 -そしてわれら(アッラーのこと)はアダムの子ら(人類のこと)を高貴な存在とし、陸に海に彼らを運んだ。また彼らによき物を糧として授け、われらが創造したあらゆるものの上に位置づけたのだ。, (クルアーン17:70)

社会の核心であり基礎であるところの、強い家族体系が根源となっている社会。このような社会は安定と発展をもたらします。聖クルアーンにはこうあります: -人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を一組の男女から創った…, (クルアーン49:13)

イスラーム法の前において、統治者と被統治者が平等であるような社会。イスラーム法は神授のものであるゆえ、それが適用される社会においてはいかなる不正も許されません。

権威と権力が一つの信託である社会。統治者はそこにおいて、イスラーム法の枠組みの中で目的を達成する役割を担います。

全個人が、全能なる神こそが全存在の真の所有者であり、また全ての被造物は人類の福利のために利用されるべく存在している、ということを信じる社会。人の所有する物は全て神からの贈り物であり、そこにおいて誰かが優先権を有しているということはありません。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -またかれ(アッラーのこと)は天地にあるあらゆるものを、あなた方のために仕えさせられる。実にその中には、熟慮する民へのみしるしがあるのだ。, (クルアーン45:13)

公的諸事を取り扱う全ての政策が、協議に基づく社会。聖クルアーンにはこうあります: -そして彼らの主(の呼びかけ)に応じ、礼拝を行い、彼らの間の諸事を協議でもって取り決め、またわれら(アッラーのこと)が授けたものから施す者たち。, (クルアーン42:38)

個人の技能や能力に基づいて、平等な機会を提供する社会。また個人は現世においてその社会に対しその能力の発揮という義務を負い、来世においては創造主の前でその責任を負います。使徒ムハンマドはこう言っています: 「あなた方は皆後見人である。そしてあなた方は皆、その後見下にある者たちに対して責任がある。(組織や集団の)長はその民に対して責任があり、また男は家庭の中における後見人であり、家族に対して責任を持つ。また女性は夫の家における管理者であり、彼女の管理下にある者たちに対して責任を持つ。そして小間使いは主人の財の管理者であり、彼もまたその管理下にあるものに対して責任を持つのだ。」 ( アル=ブハーリー:853と、ムスリムによる伝承:1829.)

法的裁決を仰ぐ法廷の場において、人がその社会的立場などに 関係なく平等に扱われる社会。

全個人が社会に対する意識を反映する社会。全個人は犯罪を犯した者を提訴する権利を有します。またこの法的処置において他人の援助を請うことが出来、一方犯罪の目撃者は正義の施行にあたって臆することなく、必要な援助を提供することが義務付けられます。

イスラーム法における人権の特徴は、以下に示す通りです:

  • イスラーム法によれば、人権は神聖なものです。そして人権の制定は気まぐれや欲望、私欲や個人的野望などに由来するものではありません。
  • 人権とイスラーム的信条・信仰の間には相互関係があります。それは天啓的法規定によって保護されており、ゆえにそれに対する侵害は神の意思に対する冒涜と見なされます。そしてその侵害者は現世においてはもちろんのこと、来世においても懲罰を受けることになります。
  • イスラームにおける人権は包括的であり、また人間の本質に適合したものです。それらは人間の先天的素質に沿ったものであり、弱者にも強者にも、貧しい者にも豊かな者にも、地位の高い者にも低い者にも適しているのです。
  • これらの人権はイスラーム司法のもとで、全人に適用されます。そこにおいて肌の色や人種、宗教や言語、社会的地位などは関係ありません。
  • 人権は継続的なもので、あらゆる時代や場所、状況に適合します。そしていかなる個人や社会も、人権を変更することは出来ません。
  • 人権は、尊厳に溢れた人並みの生活を全個人に提供する社会を建設するのに不可欠です。人権は全能なる神、全世界の主からのものであり、全人類のためのものです。また人権は人類の政治的、社会的、倫理的、経済的権利を保護します。
  • 人権は絶対的ではなく、限定的なものです。人権はイスラーム法とその指針と矛盾せず、社会の福利に損失を及ぼしたりしてはなりません。例えば意見や主張の自由は全人 に保障されており、誰もが臆することなく真実を語る権利を有しています。また全人は現世的分野であろうと宗教的分野におけることであろうと、道理をわきまえた公共の福利に適う助言や提案をすることが出来ます。しかしながらそこには越えてはならないいくつかの制限があり、それらを無視すれば社会は混沌としたものになってしまうでしょう。以下はその制限の一部です:


客観的対話における自由は、英知とよい助言をその礎としているべきです。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そしてよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のこともよくご存知である。, (クルアーン16:125)

神の存在やその使徒への信仰など、イスラーム信仰の根本的理念に則っていなければなりません。
他人の侮辱や挑発、秘密の暴露など、現世的なことであれ宗教的なことであれ、他人への侵害を伴う類の自由を回避すること。このような非合法的行動はイスラーム社会のみでなく全ての社会に害悪と腐敗を拡散します。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -信仰者たちの間に醜聞が広まることを欲する者たちには、現世と来世において痛ましい懲罰があろう。アッラーこそが(全てを)ご存知であり、あなた方は知らないのだ。, (クルアーン24:19)