イスラームにおける五つの基本的人権


  • 宗教の保護
  • 生命の保護
  • 理性の保護
  • 尊厳・家族・子孫の保護
  • 財産の保護
  • 宗教の保護

    イスラームは人類の繁栄と救済のために全能なる神から下され た、完璧な啓示です。ノアやアブラハム、モーゼやイエスなどの 過去の預言者たちもまた、大きな意味でのイスラームという宗教 ‐アッラーのみを崇拝する教え‐と、彼らに適切な特定の法規定 へと人々をいざなうために遣わされた「ムスリム(神の教えを受 け容れた者)」だったのです。
    聖クルアーンにはこうあります: -あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内 で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれ を崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかっ たのである。, (クルアーン21:25)

    そして使徒ムハンマドこそは最後の預言者であり、この「イス ラーム」という教えとこの世の終わりまで適応する天啓法の最終 版を携えて来た神の使徒なのです。彼は最も賢明かつ慈悲深い神 によって定められたイスラーム法をもって、全人類へと遣わされ たのでした。
    聖クルアーンにはこうあります: -ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた 方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、 最後の預言者なのだ。, (クルアーン33:40)
    また聖クルアーンにはこうもあります: -この日われはあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた 。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方 の宗教であることに満足した。, (クルアーン5:3)
    また神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -実にアッラーの御許における宗教とは、イスラームなのであ る。, (クルアーン3:19)
    またこうもあります: -そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決して それを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者 の類いなのである。, (クルアーン3:85)

    また神の使徒ムハンマドは彼と彼以前の預言者たちの関係に関 して、このように説明しています: 「私と私以前の預言者とはこのようなものである:ある男が 美しく瀟洒な建築物を建てた。しかし端っこのレンガが一個 抜けていた。人々は(その建物を)偉大視してその周囲を回 り始め、それを気に入った。そして言った:“どうしてこの (抜けている)レンガの部分は完成されなかったのだろうか ?”実に私こそがその(抜けた)レンガの一部分なのであり 、最後の預言者なのである アル=ブハーリー:3341、ムスリムによる伝承:228

    全人類は一般的な信念として、真実や正義、善というものが錯 誤や暴虐や悪による攻撃を受けた時に支持され保護されるという ことに、合意しています。ムスリムはこの義務を非常に深刻に捉 えており、あらゆる合法的かつ可能な手段をもって真実と正義と 善を興隆させるために奮闘するのです。一方、世俗的社会におい て宗教は純粋に個人的な物事と捉えられています。社会生活は宗 教や宗教法などではなく、世俗的原則や組織によって運営されな ければならないとされるのです。私たちはこの世俗主義の台頭自 体、ヨーロッパにおけるキリスト教教会と諸君主や諸国王の間の 衝突や無節制が原因であったことを思い出さなければなりません 。
    このことは時に悪意と共に誤用されている言葉である「ジハー ド(奮闘、尽力)」という、センシティブなテーマへの入り口に つながります。以下に示す聖クルアーンの節にはその文脈におい て、ジハードに関する一般的規定が提示されています: -そしてあなた方に戦いを仕掛ける者たちと、アッラーの道に おいて戦え。しかし度を越してはならない。実にアッラーは 度を越える者を愛で賜らない。, (クルアーン2:190)


    簡略すればジハードとは、侵略や搾取、抑圧などの折にムスリ ムに与えられる実力行使の許可です。全ての侵害行為は禁じられ ています。「ジハード」というアラビア語は語学的に「努力」を 意味するのであり、そこには抑圧者や暴君などに対する戦闘だけ ではなく、善を掲げて悪と戦うというような一般的努力も含まれ ます。イスラームはジハードによってその真実と正義と善を守り 、ムスリムはそれによって害悪に対する自己防衛をするのです。 全ムスリムはジハードを信じ、それをある一定の範囲において実 践することを義務付けられています。高い能力を備えている者に はそれなりのものが課せられますし、また貧者や不能者は自らの 人格における切磋琢磨や勝利への祈願などにおいてジハードが課 せられるのです。
    ジハードは、イスラーム以前の宗教においても実践されていま した。世界と歴史に悪がはびこる時、暴虐や不正を阻んできたの はジハードなのです。また人々が虚偽の神性を崇敬することを止 めたり、彼らにいかなる同位者や息子なども有さない唯一の神の みへの崇拝へと呼びかけたりすることも、ジハードの一つです。 ジハードは不正を除去し、人間に一つの生き方としてのイスラー ムの慈悲や正義、平和を紹介するために定められました。イスラ ームは人類の福利のためのものであり、アラブ人ムスリムやある 特定のムスリム民族集団などのみの福利のためではありません。 イスラームは普遍的な宗教であり、そこには地理的に限られた境 界線などは存在しないのです。使徒ムハンマドはこう言っていま す: 「抑圧者であろうと、抑圧されている者であろうと、あなた 方の同胞を助けるのだ。
    するとある男が言いました:
    「ア ッラーの使徒よ、抑圧されている者を助けるのは分かります が、抑圧者はいかにして助けるのでしょうか?」預言者は言 いました: 「その者が抑圧するのを阻むのだ。それが彼にと っての援助である。」 アル=ブハーリー:2312、ムスリムによる伝承:2584

    的な目的は、イスラームのメッセージにおける平和的伝播への道 を開くことです。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように 述べています: -宗教に強制はない。実に正道と邪道は明らかにされたのであ る。ゆえにターグート(偶像や悪魔、邪悪な暴君など)を否 定してアッラーを信仰する者は、壊れることのない堅固な取 っ手を握り締めたようなものなのである。かれは全てをお聞 きになり、ご存知になられるお方。,( クルアーン2:256)

    政府と国民間の内的関係を強化する原理は、正義と平和に基づ いています。正義のない平和は長続きしません。またジハードは 度々西欧のメディアによって描写されるように「聖なる戦争」な のではなく、栄誉高い努力奮闘なのであり、また神の御言葉とそ の信仰であるイスラームという教えを平和裏に広めることを阻む 者たちや抑圧者たちに対する抵抗なのです。「戦争」という言葉 は、個人的あるいは国家的利害に基づいた動機や、土地や資源な どの政治的・経済的理由によるものに用いられます。しかしイス ラームはこの類の「戦争」を禁じているのであり、以下に挙げる 三つの場合以外にのみジハードを認めているのです:


    • 度を越すことなく、生命や財産、国境線を防衛するため。
      聖クルアーンにはこうあります: -そしてあなた方に戦いを仕掛ける者たちと、アッラーの道に おいて戦え。しかし度を越してはならない。実にアッラーは 度を越える者を愛で賜らない。 (クルアーン2:190)
    • 不正の除去と、不正を受けている民に本来の権利を与えるた め。
      抑圧や暴虐に対抗する義務は、聖クルアーンの次の節の中で述 べられています: -あなた方がアッラーの道において、または虐げられた男女や 子供らのために戦わないのは一体どういうことか?彼らは( 祈って)言う:「私たちの主よ、民が不正を働いているこの 町から、私たちをお救い出し下さい。そしてあなたの御許か ら私たちに、守護者をお遣わし下さい。あなたの御許から私 たちに、援助者をお遣わし下さい」 (クルアーン4:75)
      また使徒ムハンマドはこう言っています: 「最善のジハードは、不正な暴君に対する真実の言葉である 。」
    • 宗教と信仰の防衛のため。
      全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして(不信仰による)苦難がなくなり、宗教が全てアッラ ーのものとなるまで、彼らと戦うのだ。そしてもし彼らがそ れ(不信仰、あるいは戦争)を止めるのなら、実にアッラー は彼ら(の心の内)をよくご覧になられるお方である。 (ク ルアーン8:39)
      ジハードする者、つまり「ムジャーヒド」はそこにおいて、神 のご満悦のみのために奮闘するという意図を純粋に保つ必要があ ります。また彼はジハードがイスラームとムスリムの保護のため 、そしてイスラームのメッセージと神の御言葉を広めるという正 しい目的だけのためであるという明瞭な理解を備えていなければ なりません。それでもしイスラームの敵がムスリムを攻撃する時 にはそれを阻み、もし停戦を求めてきたならばそれを受け入れて 戦争状態を停止しなければなりません。
      聖クルアーンにはこうあります: -それでもし彼らが停戦を望むのなら、(それに応じて)停戦 せよ。そしてアッラーに全てを委ねるのだ。かれは全てをお 聞きになり、ご存知になるお方。 (クルアーン8:61)
      また全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べていま す: -…それでもし彼らが退却し、あなた方と戦わずに講和を申し 込むのなら、アッラーはあなた方に対して彼らへの(更なる 戦いという)道を残されない。 (クルアーン4:90)

    イスラームは前述の特定の理由が存在する場合のみにおいて 、「戦争における品行規定」に則った戦闘を許可します。そして その他のいかなる戦争理由‐領土拡張や植民主義的関心、復讐な ど‐も、イスラームにおいては完全に禁じられています。またイ スラームは戦闘員が気の向くままに殺したりすることを許さず、 殺すことが許可されるのは敵の戦闘員と彼らを直接軍事支援する 者たちだけに限られます。加えて老人や子供、女性や病人、医療 に携わる者、隠遁して神を崇拝する僧侶なども殺害禁止対象です 。また敵の戦闘員の遺体を損傷したり、敵の家畜類を殺したり、 その家宅を破壊したり、敵の河川や湖、泉や井戸など飲料可能な 水源を汚染したりすることも禁じられます。これらの指針の根拠 は、聖クルアーンの中に沢山見出すことが出来ます。以下の節も そのようなものの内の一つです: -「そしてアッラーがあなたに授けられたものでもって、来世 を乞い求めなさい。しかし現世におけるあなたの分け前も忘 れてはなりません。アッラーがあなたによくされたように、 あなたもよい行いをするのです。地上で腐敗を働いてはなり ません。実にアッラーは腐敗を働く者を厭われます。」 (ク ルアーン28:77)
    また使徒ムハンマドはこう言っています: 「アッラーゆえに、そしてかれの御名において、アッラーを 信じない者たちと戦うのだ。彼らと戦え。しかしあなた方の 協定や休戦を破ったり、敵の死体を損傷したり、新生児を殺 めたりしてはならない…」 (ムスリムによる伝承:1731)
    また彼はこうも言っています: 「…そして女性や奴隷を殺してもならない。」
    このことは第一代目カリフであったアブー・バクルが軍をジハ ードに出征させる折、その指導者に対して行った指導と忠言にお いても見受けられます。彼はこう言ったと伝えられています:
    これら十の命令と指導に従うのだ:誰のことも裏切ってはならな い。戦利品を盗んではならない。約束を破棄してはならない。敵 の遺体や死体を損傷してはならない。子供や年少者を殺してはな らない。老人を殺してはならない。女性を殺してはならない。ナ ツメヤシの木(やそれ以外の木々)を根こそぎにしたり、焼いた りしてはならない。実のなる木を切ったり、損傷したりしてはな らない。食べるため以外には、雌羊や雌牛、雌ラクダを殺しては ならない。またあなた方は隠遁して神を崇拝することに専念する 僧侶などに遭遇するだろうが、彼らのことは邪魔せずに放ってお くのだ。またあなた方は路上で、あなた方のために食器の上に載 せた様々な食事を携えてくる者たちに遭うだろうが、その時は口 にする前に神の御名を唱えるのだ。またあなた方は必ずや、頭の 上を剃り上げ、残りの部分を長く編んだ者たちに出遭うであろう 。彼らこそはあなた方に剣を向ける、敵の戦士たちである。彼ら と戦い、殺すのだ。さあ、神の御名と共に行くがよい。

    また捕虜は拷問にかけたり、陵辱したり、傷付けたりしてはな りません。そして十分な飲食物を与えずに死に至らせたり、また は非常に狭い牢屋などの中に拘禁することも許されていません。 聖クルアーンにはこうあるのです: -そしてかれ(アッラーのこと)への愛ゆえに、恵まれない者 や孤児や捕虜に食べ物を施す。(彼らはこう言う:)「私た ちがあなた方に食事を与えるのは、アッラーの御顔(を望ん でのこと)ゆえなのだ。私たちはあなた方から見返りや感謝 の言葉を期待しているわけではない。」 (クルアーン 76:8-9)

    イスラーム政府はこのような戦争捕虜を無償で解放することも 有償解放することも出来ますし、あるいはムスリムの捕虜と交換 することも出来ます。これは以下の聖クルアーンの節に見出すこ とが出来ます: -(戦いで)不信仰者たちと出遭ったら、彼らを数多く殺すま で戦え。そして(拘束するための縄で、捕虜を)しっかりと 繋ぎ止めるのだ。その後は戦争が終わってから(それらの捕 虜を)見逃してやるか、あるいは身代金と引き換えにせよ 。(事は)こういった次第である。そしてもしアッラーがお 望みになれば、彼らの内のある者たちをお救いになろう。し かしかれはあなた方を互いに試練にかけるため(、あなた方 に戦いを命じた)。そしてアッラーの道において殺された者 は、アッラーがその行いを決して無駄にはなされない。かれ はそのような者たちを(正しい道へと)導かれ、その状況を 改善して下さろう。また彼らを天国へお入れになり、その居 場所をお教え下さろう。 (クルアーン47:4)
    占領されてイスラーム国家内に取り込まれた非ムスリム居住民 とその家族、またその所有物や土地などはイスラーム法の保護を 受け、それらに対するいかなる侵害も禁じられます。いかなる者 もイスラーム国家内に居住する非ムスリムの所有物や財産を侵害 したり、あるいは彼らを侮辱したり、その名誉を損なうようなこ とをする権利はありません。またいかなる者も彼らを不当に攻撃 する権利はありません。イスラーム国家における非ムスリムの信 仰や宗教儀式の実践などは、その法的範囲において尊重されます 。聖クルアーンにはこうあります: -(アッラーを援助する者たちとは、)もしかれ(アッラーの こと)が彼らを地上(の統治)において確立されたならば、 サラー(礼拝)を遵守し、ザカー(義務の浄財)を拠出し、 善いことを勧め、悪事を禁じる者たちのことである。そして アッラーにこそ全ての事の結末が属するのだ。 (クルアーン 22:41)
    しかしイスラーム国家における非ムスリムは、「ジズヤ」と呼 ばれる最小限度の税金を支払う義務を課されます。ジズヤはイス ラーム法統治下のイスラーム国家に居住することを望むものの、 イスラームへの改宗は望まない者が支払う人頭税のようなもので す。例えば初期のイスラーム国家において、ある程度裕福なムス リムは毎年所有する財産の2.5%をザカー(義務の浄財)として払 っていましたが、非ムスリム居住民で裕福な者はジズヤとして毎 年48ディルハム 13 相当を、商人や農民などの中間層は24ディルハ ム相当を、そしてパン屋や大工や水道工といった労働者階級は12 ディルハム相当を支払っていたものでした。尚このジズヤは、イ スラーム国家内に居住する非ムスリムとその財産保護のために用 いられます。初期イスラーム国家の指導者及び軍指揮官の一人で あったハーリド・ブン・アル=ワリードは、ある時イスラーム国 家内の非ムスリム居住民にこう約束しました:
    「あなた方から人 頭税を徴収するのと引き換えに、あなた方を完全に守るという契 約を申し出よう。もし私たちがあなた方を十分に保護したなら、 私たちは人頭税を得るに値する。しかしそうすることが出来なけ れば、あなた方は私たちにそれを支払う必要はない。


    」そしてム スリム軍が戦地を退却しなければならない状況に陥った時、約束 した安全保障を果たせなかった彼らはジズヤを返却しました。
    またジズヤはイスラーム国家に居住する全ての非ムスリムから 徴収されるわけではなく、収入のある者からのみ徴収されます。 また貧者や年少者、女性や僧侶、視覚その他の身体障害者らもま た、ジズヤを免除されます。むしろイスラーム国家はこれらの者 たちに対し十分な保護を施すと共に、適当な生活手当を付与する 義務があるのです。実際のところ、ハーリド・ブン・アル=ワリ ードによる前出の契約は、イスラーム法治下にあったイラク地方 のヒーラという町において行われました。彼はその際、こう言っ たと伝えられます: 「年配者、働けない者、不治の病にある者、裕福であったもの の破産し、その結果援助を必要としている者、これらは皆人頭 税を免除される。それどころかこれらの者は、自らと自らの扶 養者に対して十分な手当てをイスラーム国家の国庫から受領す る権利があるのだ。」  アブー・ユースフ著「アル=ハラージュ」144頁
    別の例を挙げましょう。ある時第二代目カリフのウマル・ブン ・アル=ハッターブは、物乞いをしている年老いたユダヤ教徒男 性の脇を通りかかりました。ウマルは側近に尋ね、その男性がイ スラーム国家に居住する非ムスリムであることを告げられました 。ウマルはすぐさまこう言いました:
    「私たちはあなたに公平で はなかった!私たちはあなたが若く力があった時にあなたから人 頭税を徴収したにも関わらず、あなたが年老いた時にはあなたを 放ったらかしにしたのだから!」


    そしてウマルはそのユダヤ教徒 の老人を自宅まで連れて行き、沢山の食料や衣類などを与えまし た。それから国家の財務に携わる者たちに、こう言って指導しま した:
    「引き続き彼のような人物の状況を調査し、観察するのだ。そし て国庫から、このような者たちとその家族に足るだけの援助を与 えよ。」


    神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -ザカー(義務の浄財)は貧者と困窮者‐中略‐に与えられる 。 (クルアーン9:60)
    またこの通称「ザカーの節」の解釈には、「貧者」とはムスリ ムであり、「困窮者」とはイスラーム国家内に居住する非ムスリ ムなのだ、といったものがあります。
  • 身体的安全と保護:

    人間の生命は創造主である神からの贈り物であり、神聖なもの です。人間の生命を保護するため、イスラームは殺人や傷害など の罪を犯した者に対し身体的な厳罰と報復刑を定めています。殺 人には①故意の殺人、②故意の殺人に準じるもの、③過失の殺人 、の3種類があります。イスラームは殺人への欲望を撲滅するた めに可能な限り強力な抑止力を置く意味から、故意の殺人を犯し たあらゆる者に対して、刑罰の執行を義務付けます。

    一方で故意 の殺人に準じるものや過失の殺人は別の範疇に含まれ、より軽い 刑と被害者の遺族への血債が義務付けられます。その場合被害者 の家族、あるいは相続人は加害者を赦免しない限り、血債を受領 することになります。加害者はまず神に悔悟し、それから行った 罪の贖罪をします。本来はムスリムの奴隷を一人解放しなければ なりませんが、それが不可能であれば二ヶ月間連続の断食をしま す。


    これらの処罰は全て、生命の保護のためなのです。いかなる 者にも、他人の生命や所有物、財産などを不当に侵犯する権利は ありません。イスラーム国家内に居住する無辜の市民に対する不 当な殺害や迫害、嫌がらせなどのあらゆる不正や侵害は、非常に 厳しい警告を受け、かつこれらの厳罰が明白にされるべきなので す。もしその犯罪に応じた報復刑がなければ、犯罪者はその犯罪 性において一層大胆になるに違いありません。その他全ての身体 的刑罰に関しても、同様の理論的根拠があります。刑罰の重さは あらゆる議論や混乱に収拾を付けるために報復的見地から前もっ て定められたものであり、犯罪の質に比例します。そして全ての 身体的厳罰は、イスラーム社会における人間の生命と財産保護の ためなのです。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述 べています: -報復刑(の定め)にこそ、あなた方の生命(の安全)がある のだ。理知を備える者たちよ、あなた方は(不当な殺害や傷 害から)慎むことであろう。 (クルアーン2:179)

    また故意の殺人を犯しながら悔悟しない者に対しては、来世で の懲罰に加え、神のお怒りが下されることになります。聖クルア ーンにはこうあります: -そして信仰者を意図的にあやめた者の報いは、地獄の業火で ある。彼はそこに永遠に留まるのだ。そしてアッラーは彼を お怒りになり、彼をそのご慈悲から遠ざけられる。そして彼 には、もう一つのこの上ない懲罰を用意したのである。 (ク ルアーン4:93)

    イスラームは人間の生命保護に関し、全人に一定の義務を課し ています。以下に挙げるのは、その内のいくつかです:

    • 人間は自らの魂も所有しなければ、肉体も所有しません。 それらは一定期間、人間に委託された神聖な存在なのです。ゆえ にイスラームは自らを故意に害したり、あるいは自殺行為や自ら の破滅につながるような向こう見ずな行為を禁じています。生命 は神のために授けられたものなのです。全能なる神は、聖クルア ーンの中で次のように述べています: -信仰者たちよ、あなた方の間であなた方の財産を不当に貪っ てはならない。しかし、あなた方の間で同意の下に行われる 商売は別である。そしてあなた方自身を殺してはいけない。 実にアッラーはあなた方に対し、慈悲深いお方であられる 。 (クルアーン4:29)
    • 人間は健康を維持するための本質的かつ最低限の需要を満 たすため、十分な配慮を払う必要があります。ゆえに自らに合法 な飲食物や衣類、結婚などを禁じたりしてはならず、また有害な 物はいかなる口実をもっても摂取しないようにするべきです。全 能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「(アッラーが)そのしもべのために提供されたアッ ラーの装飾品と、その糧からのよきものを禁じる者は何様で あることか?」言え、「それらは現世においては(そもそも )信仰者のためのもの(だが、不信仰者もその享楽に与るこ とが出来る)。そして(それらは)審判の日においては、彼 ら(信仰者)のみのためのものなのだ。」このようにわれら (アッラーのこと)は、知識ある民にみしるしを明らかにす るのである。 (クルアーン7:32)

    また至高なる神は、その使徒ムハンマドが彼の妻の一人を満足 させるために蜂蜜を口にするのを自らに禁じた時、全ムスリムの ための永遠の教訓とするべく、彼をこう戒められました: -預言者(ムハンマド)よ、なぜあなたの妻たちを喜ばそうと してアッラーがあなたに合法とされたものを禁じるのか?ア ッラーはお赦し深く、慈悲深いお方であられる。 (クルアー ン66:1)


    またイスラームでは吝嗇と浪費の間を行く、中庸の道を勧めて います。人間はこの世界において神が彼に授けてくれた合法な恩 恵の数々を、浪費することなくイスラーム法に沿った適切な形で 享受することが出来るのです。全能なる神は、聖クルアーンの中 で次のように述べています: -アダムの子ら(人類)よ、どこのモスクでも(衣服でもって )身を着飾るのだ。そして飲みかつ食べよ。しかし浪費して はいけない。実にかれ(アッラーのこと)は浪費を愛で賜ら ないのだから。 (クルアーン7:31)
    また身体的要求をないがしろにしたり、自らを意図的に苦境に 陥れたりするようなことは禁じられます。聖クルアーンにはこう あります: -アッラーは、人が背負い切れないような負荷をお与えにはな らない。人は自ら益を稼ぎ、また自ら害を稼ぐのだ。 (クル アーン2:286)

    教友アナス・ブン・マーリクは次のような伝承を伝えています :
    「ある三人の男が、預言者ムハンマドがいかに崇拝行為を行っ ているのかを尋ねるため、彼の妻の一人のもとを訪問しました。 そして彼の非常な献身と努力を知ると、彼らがやっていることが 非常に些細なものであることを知り、こう言いました: “神がそ の過去の罪と未来の罪をお赦しになられた預言者ムハンマドがこ のようであったら、一体私たちはどうしたらよいのか!?”
    それ で彼らの内の一人はこう言いました:
    “私は一晩中礼拝しよう 。”またもう一人はこう言いました:“私は毎日断食しよう。”


    そしてもう一人はこう言いました:
    “私は女性に近つかず、結婚 もしまい。”
    その後使徒ムハンマドはこのことを耳にすると、彼 らのところに赴いてこう言いました: “これこれのことを喋っている者たちとは誰か?神にかけて!私 はあなた方よりも神を畏れ、かれに対してあなた方の内で最も 従順であり、かつその義務に忠実な者であるが、断食もすれば それを解きもするし、夜中礼拝もすれば、眠りもする。それに 結婚だってする。私のスンナ(慣習)に従わない者は、私に属 する者ではない。”」 「アッ=ルウルウ・ワル=マルジャーン

    平和と安全:

    個人及びその家族の安全と保護の権利は、全ての人権の中でも 最も基本的なものです。ムスリム社会に属する全ての者は、あら ゆる言動やあらゆる形の武力などでもって脅かされることから法 的に守られます。神の使徒ムハンマドはこう言っています: 「ムスリムが他のムスリムを脅かすことは、許されない。」 アブー・ダーウードによる伝承

    安全の享受は、社会の中の個人に対して就労における移動や移 転の自由を与え、実直な生活を営むために働くことを可能にさせ ます。そして厳しい肉体的刑罰はイスラーム社会の平和と安全、 安定を損ねようとする者への懲罰として定められたのです。預言 者ムハンマドは別れの巡礼 の際、人々に説教してこう言いまし た: 「実にアッラーはこの日(アラファの日:ヒジュラ暦の12月9 日)、この月(ヒジュラ暦12月)のこの場所(マッカとその 付近の地)における神聖さと同様に、あなた方の生命と富、 そして名誉を犯さざるべき神聖なものとされたのだ。」 アル=ブハーリーによる伝承


    全人に対する最低限度の生活の保障

    イスラーム社会は、全人に適当な就業の機会を与えることによ って、最低限度の生活の維持を保障します。就業の機会に恵まれ ていることは、人々が基本的需要を満足させるための決定的要素 です。老年や障害、病人や働き手のない家族などに関しては、イ スラーム国家政府により福祉サービスを受ける権利があります。 更にザカー(義務の浄財)は社会の裕福な者から収集され、合法 な理由ゆえに十分な収入を得ることの出来ない低取得層や無所得 層に分配されます。これは預言者ムハンマドが教友ムアーズ・ブ ン・ジャバルを布教のためにイエメン地方に派遣した際、彼に次 のような忠告を与えたことにその根拠を見出すことが出来ます: 「…イエメンの民に伝えよ…全能のアッラーが、彼らの内の 貧しい者に与えるために裕福な者から徴収するザカー(義務 の浄財)として、財産の一定額の拠出を定められたことを 。」 ムスリムによる伝承:

    またザカーの他にも、全能なる神のご満悦を望んで有益な目的 のために施したり、社会の恵まれない人々に施したりする任意の 贈与や経済的援助もあります。これも同様に、預言者ムハンマド によって強調されていた善行です。彼はこう言いました: 「隣人が飢えているのを尻目に満腹する者は、信仰者ではな い。」 アル=ブハーリーが「アル=アダブ・アル=ムフラド」に収録している 伝承:112.その他の伝承者も収録している良好な伝承です。
    これらの経済的に恵まれない人々は、イスラーム国家の富に与 かる正当な権利を有しています。使徒ムハンマドはこう言いまし た: 「遺産を残せば、それは跡継ぎの権利となる。そして貧しい 家族を残して(この世を)去る者に関しては、アッラーとそ の使徒がその面倒を見よう。」 アル=ブハーリーによる伝承:2268、2269.
    イスラームは公共の衛生を損なうような効果を及ぼす、あらゆ るものを禁じています。例えばイスラームはいかなる種類の有害 な薬物や酩酊物質も禁じていますし、また血液や腐肉、不浄な動 物や豚肉などの非衛生な肉類、あるいはそれらから抽出された物 質を包含するものなどの全てを禁じています。またイスラームは 姦淫や卑猥な物事、同性愛などの不道徳も禁じています。また社 会に伝染病や有害な病気が拡大するのを阻止するため、伝染病が 発生した際には隔離政策を勧めています。預言者ムハンマドは言 いました: 「もしある国で伝染病が広がっていると聞いたら、そこに入 ってはいけない。そしてもしあなたが伝染病の地にあるのな ら、そこから出てはいけない。」 アフマドによる伝承:15435
    また彼はこうも言っています: 「病人は、治癒しかけている者の所へ見舞いに行くべきではな い。」 アル=ブハーリー:5437と、ムスリムによる伝承:104.

  • 理性の保護:

    理性は全ての有効で責任を伴う言動の基礎です。イスラームは 酩酊物質など、人間の地位を貶め、その知的活動を害するあらゆ る物事を禁じています。アラビア語で酒類や酩酊物質を指す「ハ ムル」という言葉には、脳を「覆う」という意味があります。ア ルコールやその他の薬物などは、社会に悲惨な結果を招く極悪犯 罪の主要要因です。イスラーム法が、酩酊物質の摂取が確証され た場合に鞭打ち刑の刑罰を定めているのは、これらの悪徳の撲滅 と他人への教訓のためなのです。全能なる神は、聖クルアーンの 中で次のように述べています: -信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラーム 26 はシャイターン(悪魔)の行いであり、不浄である。ゆえに それらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するで あろう。シャイターンは酒と賭け事をもって、あなた方の間 に敵意や憎悪をもたらし、そしてあなた方をアッラーのズィ クル(念唱、想起)やサラー(礼拝)から遠のけたいのであ る。一体あなた方は(それらを)止めないというのか?, (ク ルアーン5:90-91)
    またイスラームはあらゆる種類の酒類や酩酊物質の製造や売買 を禁じています。またそのような物が社会に蔓延することを予防 すべく、例え本人がそのような物質を摂取しなくても、それらを 売りさばいたり、その普及に肩入れしたりするようなあらゆる行 為を防止しています。使徒ムハンマドはこう言っています: 「酒(及び全ての酩酊を及ぼす物質)と関わる十種の集団に は、アッラーの呪いが降りかかるであろう。つまりそれを醸 造する者と、醸造される者。それを売る者とそれを買う者。 そしてそれを運送する者と、その届け先の者。そこから金銭 的利益を得る者と、それを飲む者。そしてそれを注ぐ者であ る。」 27 アブー・ダーウード、アッ=ティルミズィー:1295、アン=ナサーイ

    全人に対する教育の機会:

    全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「一体知っている者と知らない者は等しいというのか ?」実に訓戒を受け入れるのは、理知を備えた者たちだけで ある。, (クルアーン39:9)
    また聖クルアーンにはこうもあります: -そして(礼拝、あるいはジハードなどのために)「立ち上が りなさい」と言われたら、立ち上がるのだ。アッラーは、あ なた方の内で信仰する者たちと知識を与えられた者の位階を 上げられる。アッラーはあなた方が行うことを実によく通暁 されておられる。, (クルアーン58:11)
    イスラーム社会において教育を受けることは万人の権利であり 、むしろそれはその能力がある者にとっての道義的義務とも言え ます。イスラーム社会において知的、能力的、そして技術的に力 のある者は、宗教的原理に反することのない範囲で自らを教育し なければなりません。それが宗教分野であろうと現世的な知識の 分野であろうと、同様です。イスラーム国家は各人が適切な教育 を受けることが出来るよう、最善を尽くさなければなりません。 使徒ムハンマドはこう言っています: 「知識の追求は全ムスリム男女の義務である。」 イブン・マージャによる伝承:337
    また彼はこうも言っています: 「知識を求めて旅する者は、帰宅するまで神の道において奮 闘している者と見なされる。」 アッ=ティルミズィーによる伝承:2785.
    また同様に、彼はこう言っています: 「知識を求めて道行く者には、アッラーが彼のために天国へ の道を易しくして下さるであろう。」 アブー・ダーウード:3317と、アッ=ティルミズィーによる伝承 :2785.
    また知識を有する者は、有益な知識を独り占めしたり隠蔽した りすることを禁じられます。預言者ムハンマドはこう言いました 「何らかの知識について訊ねられたのにそれを隠蔽した者は 、審判の日にアッラーが彼に炎のくつわを嵌めさせられるで あろう。」 イブン・ヒッバーンによる伝承:296.

  • 尊厳・家族・子孫の保護


    健全な家族は健全な社会の基礎です。そして健全な家族は結婚 の神聖さを擁護することによってのみ、維持されます。社会にお ける全老若男女の道徳的純粋さを保つべく、イスラームは姦淫や 卑猥な物事、同性愛などを厳しく禁じています。実はイスラーム 以前の天啓宗教においてもこれらの物事は禁じられていたのです が、イスラームにおいては性的欲望を煽るような衣服や自由な異 性間の集いなど、罪を犯すことに繋がるような様々な事柄さえも 禁じられました。これらの予防策は、誘惑への道を閉ざします。 全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして姦淫には近づくな。それは醜悪なものであり、悪い道 である。, (クルアーン17:32)
    また聖クルアーンにはこうもあります: -言え、「あなた方に、あなた方の主が禁じられたことを読ん で聞かせよう。アッラーに何かを並べて拝してはならない。 そして両親に孝行せよ。またあなた方の子供を、困窮を恐れ て殺してはならない。われら(アッラーのこと)こそが彼ら とあなた方を養うのである。そして露わなものであれ秘めら れたものであれ、醜い物事には近づくな。正当な理由なしに アッラーが神聖なものとされた生命を奪ってはならない。こ れこそは、かれがあなた方に命じられたことである。あなた 方は恐らく理解するであろう。, (クルアーン6:151)

    教友イブン・マスウードは、ある時預言者ムハンマドにこう尋 ねました:
    「アッラーの使徒よ、アッラーの御許で最大の罪は何 でしょう?」彼は答えました: 創造主であるアッラーに、何か を並べることだ。」
    イブン・マスウードは言いました: 「それで はその次は?」
    彼は答えました: 「食い扶持が減ることを恐れて 、あなた方の子供を殺すことだ。
    」イブン・マスウードはまた言 いました: 「それではその次は?
    」彼は言いました: 「隣人の妻 と姦淫することだ。
    」それから使徒ムハンマドは聖クルアーンか ら、次の節を朗誦しました: -そしてアッラーと共に他のものを(崇拝して)祈ったりせず 、また正当な理由なしにはアッラーが禁じられた生命をあや めたりせず、そして姦淫したりすることもない者(は、慈悲 深きお方の正しいしもべである)。そのようなことを行う者 は、その罪(による報い)を受けるであろう。審判の日、彼 には懲罰が倍増され、辱められたままそこに永遠に留まる。 但し悔悟して信仰し、正しい行いをする者に関しては、アッ ラーがその悪行を善行でもって取り換えて下さるであろう。 アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方。, (クルアーン 25:68-70)

    尚姦淫が確定した場合の鞭打ち刑が科されるのは、男女の未婚 者です。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べてい ます: -男女の姦淫者は各々、100回の鞭打ちに処すのだ。もしアッ ラーと最後の日を信じているのであれば、アッラーの宗教に おいて彼らへの哀れみに囚われてはならない。そして信仰者 の一部を彼らへの懲罰の証人とさせるのだ。, (クルアーン 24:2)


    一方、既婚者、あるいは結婚歴のある姦淫者に対する刑罰はユ ダヤ教のトーラーに定められているのと同様に、投石による死刑 です。但し投石の刑が行われるためには、本人が完全に自白をす るか、あるいは信頼のおける四人の証人がその行為を明瞭な形で 証言する必要があります。

    自白とは、それを行った本人が裁判官か統治者の前でそれを公 に告白することです。自白はあらゆる疑念を払拭するため、四回 繰り返されなければなりません。一方証言の場合は、四人の公正 かつ良識を備えた男性の証人が裁判官か統治者に対し、容疑者の 男性の性器が女性のそれに挿入されたのを目撃したことを詳細に 証言します。そしてこれは通常、実現不可能なことであることと 言わなければなりません。

    イスラーム初期の歴史では、姦淫の罪を自白したいくつかの例 が記録されています。神に対する信仰心の強さが彼らを真摯な悔 悟と罪からの浄化へと促し、それを公けに告白したのです。預言 者ムハンマドの伝承にもあるように、神は誰かを同じ罪で二度罰 することはありません。それで彼らは来世での罰よりも、現世で のそれを選んだわけです。尚姦淫において性的交渉が完全に成就 されなかった場合、‐つまり単に触れたり、抱擁したり、口づけ したりしただけであった場合‐この刑罰が実施されることはあり ません。

    また他人を根拠もなく訴えた後、それを確証付ける証明を提示 出来ない場合の懲罰は80回の鞭打ち刑と、それ以後のその人物の 証言の無効化です。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のよう に述べています: -そして貞節な者を姦淫で告発した後に四人の証人を呼んで来 れない者は、80回の鞭打ち刑にせよ。そして(その後、)そ の者の証言はもう永久に受け入れてはならない。彼らは放埓 者なのである。, (クルアーン24:4)

    また他人を嘲笑したり侮蔑したり、他人の名誉や威信を傷つけ たりするような言動もまた厳禁されています。聖クルアーンには こうあります: -信仰する者たちよ、人々に他の者たちを蔑ませてはならない 。(蔑まれている)その者たちの方が、(蔑んでいる)彼ら より優れているかもしれないのだから。また女性たちに他の 女性たちを蔑ませてもならない。(蔑まれている)その女性 たちの方が、(蔑んでいる)彼女らよりも優れているかもし れないのだ。また互いの欠点を突付き合ったり、(好ましく ない)仇名で呼び合ったりしてもならない。信仰する者たち よ、邪推を多く行うことを避けよ。実にある種の邪推は罪な のである。そして互いに詮索し合ったり、陰口を叩き合った りしてはならない。あなた方は同胞の屍肉を口にすることを 望むのか?いや、(断じてそうではなく)そのようなことは 厭うことであろう。アッラーから身を慎め。実にアッラーは よく悔悟をお受け入れになり、慈悲深いお方なのであるから 。, (クルアーン49:12)
    また、聖クルアーンの別の節にはこうあります: -そして過ちや罪を犯しながら、それを無実の者に擦り付ける 者は、実に虚偽と明白な罪を犯しているのである。, (クルア ーン4:112)


    イスラームは、この世界の人間という種族の維持と継続におけ る神聖さを保護しています。人類は全能なる神の地上における代 理人として仕えるため、神の英知の体現化と全世界の後見を担っ ているのです。ゆえにいかなる正当な法的理由もなく生殖手段を 損ねたり、改変したりしてしまうことは、イスラームにおいて非 合法な行いなのです。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のよ うに述べています:。 -そして背き去っては地上を徘徊し、腐敗を働いたり、農作物 や子孫に被害を与えたりしようとする。アッラーは腐敗を愛 でられないのだ。, (クルアーン2:205)

    イスラームは四ヶ月以降の胎児を中絶することを、計画的な幼 児殺しに等しいものと見なし、そのような行為に関わった全ての 者に刑が科されるとしています。過失による堕胎でさえ、加害者 はその胎児のための血債を支払い、かつ神への悔悟として連続二 ヶ月間の断食をする必要があるのです。
    また使徒ムハンマドの多くの伝承において、ムスリムは結婚し 、子孫繁栄に励むことが勧められています。使徒ムハンマドはこ う言っています: 「愛らしく、子供を沢山産みそうな女性と結婚せよ。実に審 判の日、私は他の共同体に対しての私の共同体の数の多さを 示すのだから。」 アブー・ダーウードによる伝承:2050.

    イスラームは強い家族関係やよい親戚関係に、特別な価値をお いています。家族こそは社会の基礎であり、その崩壊や分裂は様 々な規定によって防止されています。また親族には特別の義務と 権利があります。ムスリムは親族の権利をよく自覚し、最も適切 な形で彼らの権利を十分に満たしてやる必要があります。
    また家族の中でも、法の上で互いに結婚出来る血縁関係にある ような男女が普通に混合することは、多くの社会的問題を及ぼし ます。このような望ましくない状況を回避すべく、イスラームは 互いに結婚できる関係にある男女が普通の家族のように交流する ことを阻んでいます。イスラームにおいて成人女性は、父親と兄 弟、叔父と祖父、義父と義理の息子以外の異性の前では、イスラ ーム法規定に則った服装をする必要があります。
    イスラーム以前の無知時代においては、家族体系は非常に腐敗 していました。イスラームはこれらの誤りを訂正し、徹底的な改 革に手を付けたのです。イスラームは後に言及されるような、あ る種の慣わしを禁じました。まずイスラームは、養子が養父母の 苗字を取ったり、彼らの本当の子供同様の権利や義務を授けられ たりするといった養子制度を禁じました。もちろん孤児や十分な 世話を受けていない子供の世話をすることは強く勧められており 、特別な価値のある慈善行為と見なされていることに変わりはあ りません。

    -アッラーはいかなる者の体内にも、二つの心臓を授けられは しない。またあなた方(男性)が(妻に対し)「あなたは私 の母親の背中である(つまり、結婚の成り立たない間柄であ る)」などと言って離婚しようとする 34 あなた方の妻たちを、 あなた方の母親ともされない。またあなた方の養子を、あな た方の実子ともされない。それらはあなた方が口先で語るだ けのこと(で、事実ではない)。アッラーこそが真実を語ら れるのであり、かれこそが(正しい)道へと導かれるお方な のである。彼ら(養子のこと)を、彼らの実父の名で呼ぶの だ。それがアッラーの御許で最も公正なことである。そして もし彼らの父親を知らないのなら、彼らを宗教におけるあな た方の兄弟、親友と呼ぶがいい。もしあなた方が誤ったとし ても罪はないが、あなた方が意図したことにこそ(アッラー のお咎めがあろう)。アッラーは赦し深く、慈悲深いお方で ある。, (クルアーン33:4-5)

    イスラームにおいては、子供はその父親の認知なしにその息子 と見なされます。というのもそのような主張は、婚姻関係どころ か家庭生活をも危険に晒しかねないからです。また女性はその名 誉や尊厳を損ねるような、姦淫の訴えなどの虚偽の訴えから保護 される必要があります。そのような虚偽の訴えは更なる疑念を呼 び、家族内の他の子供の血筋に対してすら疑念を抱かせてしまう かもしれません。一方で夫婦の正しい婚姻関係のもとに生を受け た嫡出子に関しては、その子供が果たして本当にその父親の子供 かどうかなどという証明は必要ありません。また母親も、子供が その父親のものであるなどということをわざわざ告げる必要もあ りません。この根拠は、預言者ムハンマドの次の言葉によってい ます: 「子供はその父親に属する。」 アル=ブハーリー:2105と、ムスリムによる伝承:1457.

    但しこの規定の唯一の例外は、妻が夫を欺き、そして彼のもの ではない子供を孕んだことが疑念の余地のないものとなった場合 です。このような場合、その子供は彼のものではないという特別 規定が適用されることになり、父子関係はないものとなります。 これが意味するところは、つまりもし非嫡出子が女子だった場合 、彼の前に気楽に姿を現すことも、彼と共に旅行することも、彼 との自由な交際も禁じられることになるということです。


    またムスリム女性は結婚後もイスラーム法に則って自分の苗字 を保持します。イスラーム法とその教義によれば、女性は結婚後 、配偶者の苗字に変更することを禁じられます。このことからも イスラームが女性に対して多大な尊厳と名誉を与えていることが 分かります。女性も男性同様、独立した自分の名前を保持する平 等な権利を有しているのです。
    またイスラームは弱者や障害者などを保護し、尊重することを 命じます。そして年配者を栄誉高いものとし、彼らに対する敬意 と配慮を勧めています。預言者ムハンマドはこう言いました: 「年少者に慈悲を示さない者、そして年配者に敬意を示さな い者は私たちムスリムの内の者ではない。」 36 アブー・ダーウード:1984と、アッ=ティルミズィーによる伝承 :2091.

    またイスラーム法は孤児の援助を義務付けています。慈悲深い 神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -ゆえに孤児を抑圧してはならない。, (クルアーン93:9)
    また聖クルアーンにはこうあります: -そして孤児が成熟するまで、その財産には良い形においてで なくては近づいてはならない。そして約束を守るのだ。それ は問われることになるだろうから。, (クルアーン17:34)
    またこうもあります: -実に孤児らの財を不正に貪る者たちは、炎を食べてそれを腹 の中に詰め込んでいるのである。そして彼らは地獄の烈火の 中に入ることになるのだ。, (クルアーン4:10)

    また聖クルアーンは、貧困や無知ゆえに両親が無実の子供を殺 してしまう、というようなことがないよう、彼らの保護を訴えて います: -言え、「あなた方に、あなた方の主が禁じられたことを読ん で聞かせよう。アッラーに何かを並べて拝してはならない。 そして両親に孝行せよ。またあなた方の子供を、困窮を恐れ て殺してはならない。われら(アッラーのこと)こそが彼ら とあなた方を養うのである。そして露わなものであれ秘めら れたものであれ、醜い物事には近づくな。正当な理由なしに アッラーが神聖なものとされた生命を奪ってはならない。こ れこそは、かれがあなた方に命じられたことである。あなた 方は恐らく理解するであろう。, (クルアーン6:151)

    このように私たちは、イスラーム社会における弱者や病人、恵 まれない人々に対する類まれな保護精神や敬意の念を認めること が出来ます。

  • 個人の財産や所有物は社会構成員の生計の手段であり、経済の 基礎です。イスラームは個人の所有財産を保護し、窃盗や強盗な どといった、所有権という神聖な権利を侵すあらゆる侵害に対し て厳罰を設けています。また同様に、詐欺や横領、独占、買占め などといった有害な経済的行為も禁じられています。これは個人 の財産に対する保護を強調する意図を示していると言えるでしょ う。イスラーム法は他人の所有物の窃盗に対しては、身体的刑罰 として手の切断刑を定めています。全能なる神は、聖クルアーン の中で次のように述べています: -男女の窃盗犯は、彼らが成したことの報いゆえ、そしてアッ ラーの懲罰ゆえ、その手を切断するのだ。アッラーは威光高 く、この上なく英知溢れるお方。, (クルアーン5:38‐39)

    しかし窃盗犯の手首の切断刑の実施は、以下の条件を満たして いなければなりません。  盗難品がきちんと保管されており、窃盗犯がそれを盗むため にその保管場所に侵入していること。もし盗難品が外に放り出さ れていたり、何の配慮も払われてはいないような物だったりした ら、刑の執行はありません。このような場合犯人は引ったくりの 罪に問われ、その筋の権威が相応の刑罰を下すことになります。

     窃盗犯の意図が、飢えのための飲食などの必要からではなか ったということ。第二代目カリフのウマルは干ばつの年、飢餓ゆ えに窃盗に及んだ者に対しては刑を執行しませんでした。

     盗難品の価値が、刑罰が適用される最低額に達していること
    またこれらの身体的刑罰は、犯罪にほんの少しの疑念でもあれ ば執行はされません。全く疑念の余地がない根拠がある場合のみ において、行われるのです。
    またイスラーム法には、犯罪に対する身体的刑罰の別の種類の ものとして、矯正刑というものもあります。これはイスラーム法 で明示されていない種類の犯罪に対する刑罰であり、比較的軽度 のものとなります。そしてその内容は犯罪者の状態やその犯罪歴 、犯罪の種類や分野や程度などを考慮しつつ、ムスリムの裁判官 が決定します。矯正刑には拘禁刑、公開の鞭打ち刑、罰金、ある いは単なる懲戒といった様々な形式があります。

    また窃盗の他にも、不動産その他の私有物に対するあらゆる種 類の侵害は禁じられています。聖クルアーンにはこうあります: -そしてあなた方の財産を、不正に貪り合ってはならない。ま たそれと知りながら罪深くも他人の財の一部を奪おうとして 、統治者に偽りの証言を立てたりしてもならない。, (クルア ーン2:188)

    こういった理由から、侵犯者は審判の日に手ひどい懲罰を下さ れるのです。使徒ムハンマドはこう言っています: 「その権利もなく他のムスリムの財産を不当に奪う者は、神 にお目にかかる時、かれがお怒りの状態にあるであろう。」 アフマドによる伝承:3946.
    また使徒ムハンマドはこうも言っています: s is: 「手の平一つ分の土地でも奪った者は、神が審判の日にその 不正者の首に七つの地を巻きつけられるであろう。」 同9588.


    イスラーム法は、他人の土地や財産を不当に入手した者が、そ れを本来の所有者に返却することを命じています。そしてもしそ の財産を元の形で返還できない場合は、それに見合った価値のも のでもって弁償します。そのような場合、ムスリムの裁判官は加 害者に鞭打ち刑を追加するといったことも可能です。またイスラ ームは所有者が自らの財産を守るためにあらゆる手段に訴えるこ とを許可しており、もしそれ以外に手段がないような場合、侵犯 者の殺害すら認めています。そのような場合には、財産を守るた めに正当防衛をしたという証明が出来れば報復刑を執行されるこ とはありません。しかし逆に侵犯者の方が所有者を殺害した場合 、被害者は殉教者と見なされる一方、加害者は殺人犯ということ になります。預言者ムハンマドはこう言っています: 「自分の財産を守るために殺された者は、殉教者である。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:2348.)

    国家資源の保護に関して

    国家資源は公共の所有物であり、その収益は社会的需要のため の資金とすべく、公的国庫に収める必要があります。このような 資源は特定の目的のみに使用するため、特定の集団や階層や個人 によって所有されたりしてはなりません。むしろそれによって得 た利益は、公共の福利のためゆえに用いられるべきです。この種 の財産に対する侵犯を試みる者に対して警戒するのは、イスラー ム社会の集団義務です。共有の自然資源に対する搾取や非合法な 私的利用は、イスラームの教義と指針において禁じられています 。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -「…そして地上で反逆を働いてはならない。」, (クルアーン 2:60)
    またこのことに関し、神の使徒ムハンマドはこう言います: 「ムスリムは三つにおいて共同所有する:つまり水と牧草と 、火である。」 アブー・ダーウードによる伝承:3477.

    イスラームにおける権利と義務

    イスラームは社会構成員の間の社会的絆の強化を促します。そ してイスラームはまず家族の権利、それからその親等上の近さに 応じて親戚に対する権利と義務を謳っています。これらの権利の 価値と重要性は、その関係の段階や種類によって様々に異なって きます。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べてい ます: -人々よ、あなた方を一つの魂(アダム)から創られ、次いで それからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を 創り広げられたアッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄 )から身を慎むのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し 合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。ア ッラーは実に、あなた方の一部始終を見守られるお方である 。, (クルアーン4:1)
    また神は相続法規定に関する節の中で、こう述べています: -…あなた方はあなた方の父母とあなた方の子息との、どちら があなた方にとって有益かを知らないのだ。(これこそ)ア ッラーからの定め。実にアッラーは全てをご存知になられ、 この上なく英知に溢れたお方である。, (クルアーン4:11)

    無論イスラームにおいて、その他の関係がないがしろにされて いるわけではありません。それらは全て人々を個人的かつ社会的 に、互いに近づけるネットワークの一部に過ぎないのです。また 団結した社会を築き上げるべく互いに助け合い、認め合うために 、遠い関係にある人々とも結集を促すような絆も必要です。全能 なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -(アッラーを援助する者たちとは、)もしかれ(アッラーの こと)が彼らを地上(の統治)において確立されたならば、 サラー(礼拝)を遵守し、ザカー(義務の浄財)を拠出し、 善いことを勧め、悪事を禁じる者たちのことである。そして アッラーにこそ全ての事の結末が属するのだ。, (クルアーン 22:41)

    相互の関係強化に関して、神の使徒ムハンマドはこのように言 っています: 「互いに妬み合ってはならない。互いに値を吊り上げ合って もならない。憎しみ合ってもならないし、背き合ってもなら ない。また互いの絆を断ち切ってもならない。しかしあなた 方は、アッラーのしもべである同胞となるのだ。ムスリムは ムスリムの同胞である。彼は同胞に不正を働いてもならない し、失望させてもならない。また同胞に嘘をついてもならな いし、蔑んでもならない。敬虔さとはここにあるのである( こう言って、彼は自分の胸を三回指しました)。人がその同 胞であるムスリムを蔑むことは十分に悪いことである。ムス リムは他のムスリムに対し、その生命と財産、名誉において( 神聖なのである。」) ( ムスリムによる伝承:2564.)
    またこのようにも言っています: 「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うの は、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴 えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病の )ために寄り集まって来るのだ。」 ( アル=ブハーリー:2238と、ムスリムによる伝承:2586.)