公権力と義務に関する言葉

前書き

イスラームは世界中の同胞が遭遇している試練を気にかけ、可 能な限り彼らを援助するよう促しています。預言者ムハンマドは こう言いました: 「信仰者とは互いに支え合う(レンガから成り立つ)、一つ の建物のようなものである。」そう言って彼は両手の指を組 み合わせました。」
 ( アル=ブハーリー:5680と、ムスリムによる伝承:2585.) 

またイスラームはムスリムが他人の信望を尊重し、余計な疑念 などを回避するように教えています。預言者ムハンマドはこう言 っています: 「邪推を避けよ。邪推は最大の嘘であるから。あなた方のム スリム同胞の醜聞や欠点、落ち度などを粗探しするのではな い。またあなた方のムスリム同胞を詮索してはならない。( 悪い意図を持って)あなた方のムスリム同胞と張り合っても ならない。またムスリム同胞を憎んでもならない。彼ら(が 苦境にある時)に背中を見せてもならない。アッラーのしも べらよ!アッラーがそう命じられたように、互いに同胞である のだ。ムスリムはその同胞に公正でなければならない。ムス リムはその同胞を失望させても、見捨ててもならない。ムス リムはその同胞を蔑んでもならない。ムスリムが所有する物 は全て他人にとって神聖な物なのであり、損ねてはならない のだ。敬虔さとはここにあるのである(こう言って、彼は自 分の胸を指しました)。人がその同胞であるムスリムを蔑む ことは十分に悪いことである。ムスリムは他のムスリムに対 し、その生命と財産、名誉において神聖なのである。実にア ッラーはあなた方の身体や見た目をご覧になられるのではな い。彼はあなた方の心と行いをご覧になられるのだ。」 ( 67 ムスリムによる伝承:2563.) 

また使徒ムハンマドはこうも言っています: s 「自らが欲することをムスリム同胞にも欲するようにならな い限り、真の信仰者になったとは言えない。」 ( 68 アル=ブハーリーによる伝承:13.) 

イスラーム社会に属する全ムスリムが共有する公的な権利には 、以下のようなものがあります:


  • 統治者の民衆に対する権利
  • 統治される側の権利
  • 隣人の権利
  • 友人の権利
  • 経済的弱者の権利
  • 被雇用者の権利
  • 他の生物の権利
  • その他諸々の権利
  • 統治者の民衆に対する権利

    この権利は次に示す聖クルアーンの節に、その根拠を見出すこ とが出来ます: -信仰する者たちよ、アッラーとその使徒と、あなた方の内の 諸事を任された権威に従うのだ。, (クルアーン4:59)

    この権利に関して、ムスリムが遵守することを要求されている いくつかの指針を以下に挙げていきましょう:

    • それが宗教において禁じられていることではない限り、統治 者に服従すること。神の使徒ムハンマドは、私たちにこう教示 しています: 「アッラーの啓典に則っている限り、(統治者に)聞き、従う のだ。例えそれがエチオピアからの奴隷男性であったとしても 。」 ( ムスリムによる伝承:1838.)
    • 聖クルアーンに則ったムスリムの統治者に従うことは神に従 うことの延長線上にあり、またその逆も同様です。聖クルアーンに則ったムスリムの統治者の命令に従わないことは事実上、 神に対する不服従なのです。
    • ムスリムの統治者は、臣民から彼自身と共同体、そして全世 界を益するような誠実な忠言を受ける権利があります。また統 治者はその任務と、約束に忠実であることを常に促されていな ければなりません。この教えは、聖クルアーンの中に見出せま す: -そして彼(ファラオ)に穏やかな言葉で話しかけよ。そうす れば彼は忠告を聴き入れ、畏怖の念を抱くかもしれない。, ( クルアーン20:44)
      また神の使徒ムハンマドはこう言っています:「宗教とは 助言である。」私たちは言いました:「誰に対しての助言で すか?」(預言者は)言いました: 「アッラーとその啓典と 、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たち に対する助言である。」

    また統治される者は災厄や苦難の際に、統治者を援助しな ければなりません。ムスリムはその統治者や指導者に従うこ とを要求されており、彼らに災いを祈ったり、あるいは問題 の発生を意図して人々を扇動したりしてもなりません。これ はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の 、次の言葉によっています: 「あなた方の諸事が全て一人の 者に任されているというのに、あなた方を分裂させるか、あ るいはあなた方の集団を分散させようとする者が現れたら、 その者を殺すのだ。」 ( ムスリムによる伝承:1852.) 

  • 統治される側の権利

    イスラーム国家のムスリムは、その政府に対してある種の権利 を有します。以下に挙げるのは、その概略です:


    完全な公正:これは全ての者がイスラーム国家において、適正 な待遇を施されるということです。ある権利を保障されている全 個人は、それを適切な形で享受する権利があります。またある義 務を果たすことを課せられている全個人は、偏見を受けることな く適切な待遇を受ける権利があります。また個人間の責任分担も 公平にされなければなりません。いかなる個人もある特定の人種 や部門、社会階級などゆえに他人に対する優先権を得ることはあ りません。聖クルアーンにはこうあります: -信仰する者たちよ、アッラーへの証言者として公正を貫く者 となるのだ。例えそれがあなた方自身やあなた方の両親、近 親に不利になるとしても(、そうせよ)。(証言を受ける対 象が)豊かであろうと、貧しかろうと、アッラーが先決なの である。私欲に従って、(真理から)逸れてはならない。ま た(証言を偽ろうと)ねじったり、(するべき証言を)放棄 したりしてはならない。実にアッラーはあなた方の行いを熟 知されているのである。, (クルアーン4:135)

    また預言者ムハンマドはこう言っています: 「アッラーが最も愛でられ、また審判の日に最もかれの御許 に近い場所に座を占めるのは、公正な統治者である。一方審 判の日に最も忌み嫌われ、かつ最も厳しい懲罰を受けるのは 暴君である。」 ( アッ=ティルミズィーによる伝承:1329.) 


    協議:統治される者は、彼らの経済的・社会的利益に関する物 事において、統治者から協議を受ける権利があります。協議の工 程は通常の形式に則って行われるべきです。また民衆はイスラー ム共同体と社会に関する物事に関し、彼らの視点や見解を表現す る機会を与えられなければなりません。そしてもし公益に適った 意見があれば、統治者はそれを受容することも出来ます。神は、 聖クルアーンの中で次のように述べています: -そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、実にアッラー からのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なで あったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったこと であろう。ゆえに彼らを赦し、彼らのために罪の赦しを乞え 。そして諸事において彼らに相談するのだ。, (クルアーン 3:159)

    神の使徒ムハンマドは数多くの出来事において、その教友たち の助言を請いました。例えばバドルの戦役の際、ある教友は陣営 の位置を変更することを提案しようとしてこう言いました:「ア ッラーの使徒よ!この場所はアッラーがお選びになられたもので 、変更の余地はないのですか?それともこれは単なる戦略なので すか?」彼は答えました:「戦略である。」すると、その教友は こう提案しました:「アッラーの使徒よ!これは陣営を構えるの には適当な場所ではありません。敵に最も近い水飲み場を探し、 そこに陣取りましょう。そして全ての水源を断ち、私たちの陣営 だけのために水槽を設けるのです。こうすれば戦闘が開始された 時、私たちは水を飲むことが出来ますが、敵はそう出来ないこと になります。」アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:「あなたは最善の助言をしてくれた 。」 ( 72 イブン・ヒシャームの預言者伝。)

    治める法律が、イスラーム法に則したものであること:イスラ ームの統治と合法的な裁決はイスラーム法によるものです。イス ラーム国家の法律はイスラーム法源であるクルアーンとスンナに 則ったものでなければならず、権威ある明文が存在している事例 に関しては、個人的見解の立ち入る余地はありません。イスラー ム法は、私法や家庭法、犯罪法や国内法、国際法などを含む、包 括的な法体系です。イスラーム法は人間の全ての要求を正しい形 で満足させますが、それはアッラーが人類の導きのためにその使 徒に下した啓示であるからです。


    民衆と密接した政治:ムスリムの統治者は自らを民衆から遮断 して遠ざかったり、あるいは彼らとの間の取次ぎを置き、ある者 たちの訪問を許す一方で、別の者たちが訪問するのを拒否したり することがないようにしなければなりません。預言者ムハンマド は言いました: 「ムスリムの諸事に関していくつかの責任を負わされたにも 関わらず、彼らの欠乏や必要、窮乏や貧困をないがしろにす る者は、審判の日に偉大なるアッラーが彼の欠乏や必要、窮 乏や貧困をないがしろにされるであろう。」  ( アブー・ダーウードによる伝承:2948.) 

    民衆への慈悲:ムスリム統治者は臣民に対して親切かつ哀れみ 深くあり、彼らが担いきれないような負担をかけたりしてはいけ ません。また人々が社会において最善の形で生活することが出来 るように、全ての手はずを整えなければなりません。またムスリ ム統治者は年配者を自分の父親のように、年少者を自分の子供の ように、そして同年輩の者に関しては兄弟姉妹のように扱う必要 があります。聖クルアーンは、イスラーム共同体の最初の指導者 である預言者ムハンマドの特徴を、以下のように語っています : -あなた方のもとに、あなた方自身の内から一人の使徒(ムハ ンマド)が到来したのである。(彼は)あなた方の(現世と 来世における)苦しみを身に沁みて辛く思い、あなた方(が 懲罰を受けず信仰に入ること)に懸命で、信仰者たちに哀れ み深く、慈悲深いのである。, (クルアーン9:128)

    また使徒ムハンマド自身、このような助言を送っています: 「慈悲深い者にはアッラーが慈悲深くあられよう。地にある ものに慈悲深くあるのだ。そうすれば天にあるお方が慈悲深 くあられよう。」 ( アブー・ダーウード:4941と、アッ=ティルミズィーによる伝承 :1924.) 

    また第二代カリフであったウマル・ブン・アル=ハッターブは 、統治の責任を非常に重く見ていました。そしてある時、こう言 ったほどだったのです:「アッラーに誓って。もしイラク地方で ラバが転んだら、私はアッラーが私に“なぜ道をならさなかった のだ?”とお咎めになることを恐れる。」

  • 隣人の権利

    至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように命じています: -そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはな らない。そして両親と近親と孤児、恵まれない境遇にある者 たち、また近い隣人と遠い隣人、そして近しい仲間と旅路( で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷)に 対して善行を施すのだ。実にアッラーは、自惚れ屋の高慢な 者を愛で賜らない。, (クルアーン4:36)

    イスラームは隣人を以下のように、三つの種類に分類していま す:

    親戚の隣人:この類の者は三つの権利を有します。つまり親戚 としての権利、隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。
    ムスリムの隣人:この類の者は二つの権利を有します。つまり 隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。
    非ムスリムの隣人:この類の者は一つの権利を有します。つま り隣人としての権利です。教友アブドゥッラー・ブン・アムルが ある日帰宅すると、家人が羊を一頭料理していました。そして彼 は直ちにこう尋ねたのです:「ユダヤ教徒の隣人にはおすそ分け したか?というのも私は、預言者ムハンマドがこう言うのを聞い たのだ: “もしかすると遺産相続までさせるのでは、と私が訝るほどに 、ジブリール(ガブリエル)は私に隣人への善行を命じ続け る。”」  ( アッ=ティルミズィーによる伝承:2007.) 


    また隣人を害したり不便をかけたりすることは、信仰の無効化 にすら繋がり得ます。預言者ムハンマドはこう言いました: 「ア ッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラー にかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけ て、(そのような者は)信仰していない。」

    「一体誰のことですか、アッラーの使徒よ?」(預言者 は)言いました: 「隣人を害して安心させることがないような者 のことだ。」 ( 76 アル=ブハーリーによる伝承:5670.) 

    神の使徒ムハンマドは、隣人の権利を次のように描写したと伝 えられています: 「あなた方は隣人の権利を知っているか?(それはこのよう なものである:)隣人が助けの手を求めるならば、助けてや れ。隣人が借金を求めてきたら、(可能な範囲で)貸してや れ。もし彼らが困窮したら、経済的に援助し、彼らの身にな ってやれ。また彼らが病気になったら、見舞ってやれ。隣人 が何かで喜んでいたら、祝ってやれ。また隣人に災難が降り かかったら、慰めの言葉をかけてやれ。そしてもし隣人が亡 くなったら、葬儀に付き添ってやれ。またあなたの家宅のせ いで、彼らの家宅が日陰になったり、風通しが悪くなったり してはいけない。そしてお裾分けしてやれないのなら、隣人 を料理の匂いで害するようなことをしてはならない。」 ( アッ=タバラーニーによる伝承:1014.) 

    またムスリムは隣人に悪い扱いを受けたとしても、親切に接す るべきとされます。ある男は、教友イブン・アッバースにこう言 いました:「私の隣人は私を害し、罵ります。」すると彼は言い ました:「その男があなたのことで神に従わなくても、あなたは 彼のことで神に従うのだ。」

  • 友人やゲストの権利

     友人の権利


    友人はイスラームの教えに沿って、ある種の権利を享受します 。これは神の使徒ムハンマドの、以下に示す教示によっています : 「至高のアッラーの御許で最善の伴侶とは、その伴侶に対し て最善の者である。そして至高のアッラーの御許で最善の隣 人とは、その隣人に対して最善の者である。」  ( アッ=ティルミズィー:1944と、イブン・フザイマによる伝承:2539.) 

    客人の権利

    イスラームでは、客には歓待される権利があることを認めてい ます。神の使徒ムハンマドは言いました: 「アッラーと審判の日を信ずる者は、隣人を厚遇せよ。そし てアッラーと審判の日を信ずる者は、客人を誉れでもって手 厚くもてなすのだ。」

    ある者が言いました:「アッラーの使徒よ、誉れとは何ですか ?」彼はこう言いました: 「(最初の)一昼夜のことだ。もてなしは三日間であり、そ の後(のもてなし)は施しである。そしてアッラーと審判の 日を信ずる者は、よいことを喋るか、さもなくば黙っていよ 。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:5673.) 


    また誉れでもって手厚く待遇することには、客人を笑顔で暖か くもてなすことも含まれます。そしてその一方で、客の側ももて なす側の状況を考慮しなければなりません。その者に大きな負担 をかけるようなことは避けるようにします。預言者ムハンマドは 言いました: 「ムスリムはその同胞を罪に陥れるまで、彼のもとに滞在す ることを許されない。」

    人々は言いました:「アッラーの使徒よ、罪に陥れるとはどう いうことでしょう?」彼は言いました: 「もてなす物が何もないような者のもとに留まることである 。」 ( ムスリムによる伝承:48.) 

  • 経済的弱者の権利

    神はかれの御顔を求めて、イスラーム社会の経済的弱者や恵まれない人々のために施す者を称えています。聖クルアーンにはこうあります: そしてその財産に、(施しのための)決められた分がある者たち。(そしてそれらは)物乞いする(貧)者や、(慎ましさゆえに物乞いしない)貧者に(あてられる)。, (クルアーン7:24-25)


    実際のところイスラームは、恵まれない人々や貧しい人々に対する慈善行為を、最も大きな善行と見なしています。そして一方では、神ゆえにその財産を費やすことなく蓄財することに対し、警告しているのです。聖クルアーンにはこうあります: -敬虔さや信仰とは、ただあなた方の顔を東や西に向けること(礼拝の動作や方角のこと)だけではない。しかし(真の)敬虔さや信仰とは、アッラーと最後の日、天使と啓典と諸使徒を信ずる者の(それ)。また近親の者や孤児、困窮者や旅人、物乞いや奴隷の解放ゆえに喜んで財を施す者(のそれ)…, (クルアーン2:177)

    神に命じられた通りに貧者や経済的弱者の権利を満たすことなく財産を溜め込む者に、神は審判の日における厳罰を約束しています。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: そして金銀を貯め込み、それをアッラーの道において施すことのない者たちには痛ましい懲罰の知らせを伝えよ。, (クルアーン9:34)

    ザカー(義務の浄財)がイスラームの信仰教義で定められているのも、こういった意味合いがあります。ザカーは毎年一定額に達している財産から2.5%の額を支払うという、義務行為です。ムスリムは神の命令への服従として、自発的に施しをするのです。これは経済的に恵まれない者などに支払われます。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカーを施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。, (クルアーン98:5)

    尚ザカーには以下に示すような指針や条件があります:

    • 所有している財産がイスラーム法で定められた一定額に達していない限り、ザカーの義務は発生しません。
    • 上記の額の財産は、一年を通して所有しなければなりません。それを所有したのが一年以下であれば、ザカーの義務は発生しません。

    またザカーの配給資格を有する種類の者は、聖クルアーンの以下の節の中に見出せます: -ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。, (クルアーン9:60)

    イスラームは社会から貧困の根を除去し、また貧困を原因とするある種の問題を解決するためにザカーを定めました。例えば窃盗や殺人、横領や暴力などは貧困と関わっている場合が往々にしてあります。またザカーは社会福利や、イスラーム社会内の構成員同士の相互援助を活性化させます。またザカーは経済的弱者や貧者の要求を満たすだけではなく、正当な理由から債務を返済できずに苦しんでいる負債者の援助のためにも用いられます。更にザカーは人の心と魂、そして財産さえも浄化します。純粋な意図をもってザカーを支払えば、自らの吝嗇さと貪欲さを取り除くことが出来るでしょう。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして自らの吝嗇から守られた者こそは、繁栄を達成する者なのである。, (クルアーン64:16)

    またザカーはそれを受領する者の心をも浄化します。つまり彼らが裕福な者が彼らよりも経済的に恵まれてはいない同胞たちにその正当な権利を与えるのを見ることにより、彼らの心から社会の富裕層に対する憎しみや嫉妬心、敵意などが減少するからです。

    一方で全能である神は、払うべきザカーを支払おうとしない者に対し、厳しい懲罰を約束しています。かれは聖クルアーンの中でこのように述べています: -そしてアッラーの恩恵によって授けられた物において吝嗇する者たちが、得をしているなどと考えてはならない。実にそれは損失なのだ。彼らの吝嗇していたものは審判の日、彼らに巻きつけられるであろう。そして天地が消滅しても、アッラーのみが全てを引き継がれる。アッラーこそはあなた方の行いを熟知されているお方である。, (クルアーン3:180)

  • 被雇用者の権利

    労働者の権利

    イスラームは雇用者と被雇用者に関し、いくつかの規則を明らかにしています。雇用者はイスラームの教義に基づき、被雇用者や労働力に対し、公正かつ思いやりのある関係を築かなければなりません。それはつまり平等と善意、イスラーム的同胞愛に則った関係のことです。これは神の使徒ムハンマドの、次に示す伝承によっています: 「あなた方に仕える者たちは、アッラーがあなた方の配下に置かれたあなた方の同胞である。ゆえに同胞の世話を任せられている者は、自分が食べている物を彼にも与え、また自分の着る物を彼にも与えるのだ。そして彼らが担えないほどの負担を課してはいけない。もしそうするのであれば、彼らを助けてやるのだ。」 アル=ブハーリーによる伝承:5702.

    むしろイスラームは、労働者の栄誉と威信を強調しています。使徒ムハンマドはこう言っています: 「自らの手で稼いだ物によって食べる者より、良い物を食べる者はいない。」 アフマドによる伝承:8419.

    またイスラームは、雇用者が被雇用者に対して仕事を開始する前に、報酬の額や内容を明らかにしておくよう命じています。 アル=バイハキーとアブドゥッ=ラッザークによる伝承。

    またイスラームは、彼らが報酬を手に入れることを保障します。預言者ムハンマドは、至高なる神がこう仰ったと伝えました: 「(次の)三者には、われ(アッラーのこと)が審判の日にその敵対者となるであろう:わが御名のもとに約束しておいて、騙す者。また自由民を売り、その利益を貪る者。そして人を雇い、その者が(依頼した)仕事を完遂したにも関わらず、賃金を支払わない者。」 アル=ブハーリーによる伝承:2114.

    また預言者ムハンマドは、仕事が終わりしだい被雇用者に報酬を払うことを命じています。 イブン・マージャによる伝承:2468.

    雇用者の権利

    イスラームは同様に、被雇用者側も雇用者側とよい関係を築くことを求めています。イスラームは被雇用者がその能力と才能の最善を尽くして、雇用者に対する彼らの義務を果たすことを命じているのです。また被雇用者はいかなる形においても雇用者や勤務内容をないがしろにしたり、損害をもたらすようなことをしたりしてはいけません。使徒ムハンマドはこう言っています: 「実にアッラーはあなた方が何かを行う時には、それを完遂することを愛されるのだ。」 アブー・ヤァラー:4386と、アル=バイハキー「シュアブ・アル=イーマーン」:5312による伝承.

    また仕事における誠実さを促し、かつ人の尊厳を守るために、イスラームは労働の報酬を最善の収入としました。預言者ムハンマドはこう言います: 「最良の稼ぎとは、誠実さをもって自ら働いて稼いだ物である。」 アフマドによる伝承:8393.

  • 他の生物の権利

    .動物の権利

    飼育される動物は皆食事を与えられ、十分な世話と優しい配慮を受ける権利があります。神の使徒ムハンマドはこう言いました: 「ある女性が猫を罰した。彼女はそれを死ぬまで閉じ込め続けたゆえに、地獄に入れられたのだ。彼女はその猫に餌も飲み物も与えず幽閉し、放して地上の生物を捕獲させようとすらしなかった。」 アル=ブハーリー:5702と、ムスリムによる伝承:1661.

    また動物はその能力以上のものを課されたり、担えない位の重量の荷物を運ばせられたりしてはいけません。また動物を理由もなく罰したり、傷つけたり、叩いたりすることも禁じられています。神の使徒ムハンマドは、こう言っています: 「アッラーは動物に印を付けるために焼き印をあてたり、刺青を入れたりすることを呪われた。」 アル=ブハーリー:2236と、ムスリムによる伝承:2110.

    またイスラームは生きた動物を標的にすることなども禁じています。教友イブン・ウマルはある時、クライシュ族の青年たちが生きた鳥を射的の標的にしているところを通りかかりました。彼は誰がそうしたのかを尋ねると、こう命じました: 「アッラーはそのようなことをする者を呪われる。アッラーの使徒は生きた動物を標的にする者が呪われるよう、アッラーに祈願されたのだ。」 アル=ブハーリー:5196と、ムスリムによる伝承:1958.

    またイスラームは、動物を殺した後にその死体を損傷する者のことを強く非難しています。 アル=ブハーリーによる伝承:5196.


    またイスラームは、動物を罵ったり害したりすることさえも禁じています。教友イブン・マスウードはこう伝えています:「私たちはアッラーの使徒と共に旅路にありました。彼は用を足しに私たちの遠くに行きましたが、その時私は一羽の母鳥が二羽の雛鳥と共にいるのを見つけました。私たちが雛鳥を捕まえると、母鳥は私たちの周りを飛び回りました。アッラーの使徒は用を済ませて帰ってくると、私たちのした事を見て、こう尋ねました: “雛鳥を捕まえてこの母鳥を怒らせたのは誰だ?雛鳥を返してやるのだ!”また彼は焼かれた蟻の巣を見た時には、こう言いました:“これを焼いたのは誰だ?”私たちは言いました:“私たちです。”すると彼はこう言いました:“火の主(神のこと)以外の者は、火をもって罰したりしてはいけないのだ。”」 ( アブー・ダーウードによる伝承:5268.)

    イスラームは食用のために動物を屠殺する時でさえ、慈悲の念を勧めています。他の動物が見ている前である一頭を屠殺したり、屠殺する動物の前で刃物を研ぐことすら許されてはいないのです。また首を折ったり、叩いたり、電気ショックなどで動物を屠ることも禁じられます。また完全に絶命する前に解体し始めたりすることも、許されない行為です。神の使徒ムハンマドは、私たちにこう教示しています: 「アッラーは、あなた方が全てにおいてよくあることを命じている。それで殺す時でさえも良い形で殺し、屠殺する時も良い形で屠殺しなさい。あなた方のナイフをよく研ぎ、屠殺する動物を早く楽にさせるようにするのだ。」 ( ムスリムによる伝承:1955.)

    一方でイスラームは人の生命の保護のため、危険かつ有害な動物や昆虫類などを駆除するよう命じています。というのも神は人間を世界で最も栄誉高い存在としたのであり、それゆえにその命はかれの御許において最も神聖であるからです。動物の権利が重要であるならば、人間の権利はそれ以上であるのが当然のことでしょう。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そしてわれら(アッラーのこと)はアダムの子ら(人類のこと)を高貴な存在とし、陸に海に彼らを運んだ。また彼らによき物を糧として授け、われらが創造したあらゆるものの上に位置づけたのだ。, (クルアーン17:70)

    また動物は無慈悲な行為から保護されるべく、優しく公正に扱われるだけではありません。ムスリムはそうすることにより自らの罪が赦され、それどころかそれが死後天国に入る原因にすらなると信仰しています。使徒ムハンマドはこう言いました: 「或る男が道を歩いている時、喉の乾きに襲われた。すると井戸を見つけたのでその中に降り、水を飲んだ。そこから出てみると、犬が乾きのため舌を出し、ハアハア言いながら泥を食べていた。男は言った。“この犬も喉が渇いているのだな。自分がそうだったように。”そして井戸の中に降りると、靴に水を満たし、それを犬の口のところに持っていって飲ませた。アッラーは彼に報奨を与え、そして彼の罪を赦した。」人々は言った:「預言者よ、畜獣への善行にも報奨があるのですか?」 彼は言いました:「全ての生きとし生けるものには報奨があるのだ。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:5663.)

    植物や環境の権利

    イスラームは植物やその果実から利益を得ることを許可する一方、正当な理由もなくそれらの枝を折ったり、伐採したりすることを禁じています。むしろイスラームは植物や木々を保護し、それらを更に増殖させるような活動を奨励しているのです。預言者ムハンマドはこう言いました: 「あなた方の手元に(植えるための)苗がある時に審判の日が訪れ、そしてそれを植えてしまう余裕があるのなら、その者はそうするべきである。」 ( アフマドによる伝承:12901.)

    またイスラームは有益な作物や木などを植えることを一つの慈善行為と見なしており、それによってムスリムは報奨を受けるとしています。預言者ムハンマドはこう言いました: 「ムスリムが何らかの植物を植えて耕作し、そして鳥や人間や動物がそこから糧を得るのならば、その者には慈善行為としての報奨が与えられるであろう。」 ( ムスリムによる伝承:2195.)

  • その他諸々の権利

    雑多な権利

    イスラームは公道や歩道に対しても、ある種の権利を定めています。預言者ムハンマドはこう述べています: 「公道に座りこむのではない。」

    それで教友たちは、言いました:「アッラーの使徒よ、話し合うための場所が他にないのです。」すると(預言者は)言いました: 「やむを得ずそうするなら、公道での義務を守るのだ。」

    (教友たちは)言いました:「公道の義務とは何ですか、アッラーの使徒よ。」(預言者は)言いました: 「視線を(様々な問題を及ぼす物事から)下げること、害悪の阻止、挨拶を返すこと、そして勧善懲悪である。」 ( アル=ブハーリー:2121と、ムスリムによる伝承:2333.)

    また使徒ムハンマドは、次のように言ったとも伝えられています: 「道路から有害な物を除去することは、一つの慈善行為である。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:2827.)

    更に彼は、このようにも言っています:「人々の呪いを買う二つの事から身を慎むのだ。」人々は言いました:「人々の呪いを買う二つの事とは何ですか、アッラーの使徒よ。」彼は答えました: 「人通りのある道、そして人々が日差しから身を護るための物陰で用便をすることである。」 ( ムスリムによる伝承:269.)

    また一般的に言ってムスリムはどこであろうと、同胞のことを思いやり、配慮することを義務付けられています。アッラーの使徒はこう言っています: 「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うのは、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病の)ために寄り集まって来るのだ。」 アル=ブハーリーによる伝承:5665.

    またムスリムは、その同胞の状況の改善のために努力を惜しむべきではありません。 「自らに欲することをその同胞にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:13.)

    また特に困難の折には、預言者ムハンマドの次の言葉を体現するべきです: 「信仰者同士は、一軒の堅固な建築物のようなものである。レンガの一つ一つが互いに強化し合っているのだ。」そう言って彼は両手の指を組み合わせました。 ( アル=ブハーリーによる伝承:5680.)

    また同胞を見捨てることは、禁じられています。使徒ムハンマドはこう言っています: 「ムスリム同胞の名誉が侵害されているのに、彼を守らずに見捨てる者は、彼自身が最もそうされるのが必要な時にアッラーから見捨てられるであろう。そしてムスリム同胞の名誉が侵害されている時に、彼の援助へと駆け付ける者は、彼自身が最もそうされるのが必要な時にアッラーのご援助を得ることが出来るであろう。」 ( アブー・ダーウードによる伝承:4884.)

    しかしこのような法規定や権利が施行されなければ、これらのことは人々の心の中の単なる理念や夢でしかありません。これらを施行する権威がなければ、それはユートピア的理念に過ぎないのです。使徒ムハンマドはこう言っています: 「あなた方は悪を行う無知な者を阻止しなければならない。そしてそのような無知な者に、善行を命じなければならない。さもなくばアッラーは、あなた方(全員)にやがて懲罰を下されるであろう。」  ( アブー・ダーウード:4336と、アッ=ティルミズィーによる伝承:2169.)

    全能なる神はそれゆえ、イスラーム社会におけるこのような人権保護のためにその使徒ムハンマドに適切な命令を啓示したのです。神は人間がこれらの法的境界線を越えないよう、「フドゥード(既定刑)」として知られる厳しい刑罰と法を定めたのです。そしてこのような罪を犯す者は、死後においてもある種の懲罰を受けるかもしれません。

    以下に挙げるのは、イスラームが「行いなさい」と命令していることと、「行ってはいけません」と禁じていることの目録です:


    イスラームはいかなる人間の命もあやめてはいけないとし、そのような行動を大罪の一つに数えています。その根拠は、聖クルアーンの次の節の中にあります: -そしてアッラーが禁じられた(者の)命を、正当な理由もなくあやめてはならない。不正に殺された者に関しては、われら(アッラーのこと)はその遺族に(その正当な損害賠償を受ける)権威を与えよう。ゆえに無駄に命を奪ってはならない。実に不当に奪われたものは、(その権利の回復を)援助されるのだ。, (クルアーン17:33)

    イスラームは他人の尊厳や威信、プライバシーなどを侵害するあらゆる行為を禁じています。このような種類の行動もまた、イスラームにおいては大罪です。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -(ムハンマドよ)言え、「あなた方に、あなた方の主が禁じられたことを読んで聞かせよう。アッラーに何かを並べて拝してはならない。そして両親に孝行せよ。またあなた方の子供を、困窮を恐れて殺してはならない。われら(アッラーのこと)こそが彼らとあなた方を養うのである。そして露わなものであれ秘められたものであれ、醜い物事には近づくな。正当な理由なしにアッラーが神聖なものとされた生命を奪ってはならない。これこそは、かれがあなた方に命じられたことである。あなた方は恐らく理解するであろう。, (クルアーン6:151)

    またイスラームは、社会において猥褻な物事を促すようなあらゆる手段と、あらゆる種類の恥ずべき行為を禁じています。また更にはそのような物事の原因となるような全てのものを禁じるのです。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして姦淫には近づくな。それは醜悪なものであり、悪い道である。, (クルアーン17:32)

    神は他人の財産や所有物を侵害するような、あらゆる行為を禁じています。盗みや詐欺などは全て、イスラームにおいてご法度なのです。使徒ムハンマドはこう言っています: 「誰でも私たちを欺く者は、私たちの内の者ではない。」 ( ムスリムによる伝承:164.)

    また高利貸しや利息を伴う取引などもまた、イスラームでは禁じられます。それはこのような商取引が経済体系に不正を広め、特に経済的弱者などのあらゆる者に害を与えるからです。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -それというのも彼らは(現世で)「売買はリバー(利息を伴う不法取引)のようなものだ」などと言っていたからである。アッラーは売買を合法化され、リバーを禁じられたのだ。, (クルアーン2:275)

    また神は聖クルアーンの中で次のように述べているように、あらゆる種類の背信行為や欺きを禁じています: -信仰者たちよ、アッラーと使徒を裏切ってはならない。そしてそうと知りつつ、あなた方の信託を破ってもならない。, (クルアーン8:27)

    またイスラームは独占を禁じます。使徒ムハンマドはこう言っています: 「独占する者は罪深い者である。」 ( ムスリムによる伝承:1605.)


    また賄賂や不正なリベートなども禁じられます。預言者ムハンマドはこう言いました: 「賄賂を贈る者と収賄者にアッラーの呪いあれ。」 ( アブー・ダーウード:3580と、アッ=ティルミズィーによる伝承:1336)

    同様に正当ではない非合法な手段をもって稼ぐことも、禁じられます。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そしてあなた方の財産を、不正に貪り合ってはならない。またそれと知りながら罪深くも他人の財の一部を奪おうとして、統治者に偽りの証言を立てたりしてもならない。, (クルアーン2:188)

    イスラームは私欲を肥やすために、権力や地位を乱用することも禁じます。そして統治者はそのような手段を用いて獲得した財産を返還させ、それを国庫に入れることを命じられているのです。預言者ムハンマドはある時、イブン・アッ=ルトゥビーヤという男をザカー(義務の浄財)の徴収人に任命しました。彼は任務を終えて戻って来ると、「これは国庫のためのもので、これは私への贈り物です」と言いました。そこで使徒ムハンマドはこう言ったのです: 「もし彼が父親か母親の家に留まっていたのなら、これらの贈り物を貰うことなどなかったのだ(つまりそれらは徴収の任務を利用して得られた、非合法なものである)。私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。このようなものを手にする者は、審判の日にそれを首に巻きつけた形で現れよう。例えそれが一頭のラクダであってもだ。」それから彼はその両脇の下の白さが露わになる位にまで両手を上げ、こう三回言いました:「アッラーよ!私が確かに伝達したことの証人たれ。」 ( アル=ブハーリー:6772と、ムスリムによる伝承:1832.)

    またイスラームは、人の精神や頭脳に悪影響を与える酩酊物質の類を禁じています。聖クルアーンにはこうあります: -信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像とアル=アズラームはシャイターン(悪魔)の行いであり、不浄である。ゆえにそれらを避けるのだ。(そうすれば)あなた方は成功するであろう。, (クルアーン5:90)

    またイスラームは殴打などの肉体的なものから、陰口や秘密の暴露、嘘の証言などの心的なものまで、あらゆる形において他人を傷つけることを禁じています。聖クルアーンはこのように警告します: -信仰する者たちよ、邪推を多く行うことを避けよ。実にある種の邪推は罪なのである。そして互いに詮索し合ったり、陰口を叩き合ったりしてはならない。あなた方は同胞の屍肉を口にすることを望むのか?いや、(断じてそうではなく)そのようなことは厭うことであろう。アッラーから身を慎め。実にアッラーはよく悔悟をお受け入れになり、慈悲深いお方なのであるから。, (クルアーン49:12)

    イスラームは他人の威信と名誉を保護し、その侵害を禁じます。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そして男女の信仰者を言われのないことで害する者たちは、実に途方もない嘘と明白な罪を犯しているのだ。, (クルアーン33:58)

    またイスラームはプライバシーの権利に非常な重要性をおいており、いかなる侵入行為も禁じています。聖クルアーンにはこうあるのです: -信仰する者たちよ、その許しを請い、家人に挨拶することなしには他人の家に入るのではない。それがあなた方にとってよりよいことなのだ。あなた方が(このことに)教示を受けるのならば(きっとそうするであろうに)。, (クルアーン24:27)

    正義はイスラームという教えの基礎の一つですが、それゆえ他人に対してはもちろんのこと、自分自身に対しても不正を働くことは許されません。聖クルアーンにはこうあります: -実にアッラーは、公正と善行と近親の者への贈与を命じられ、そして醜行と悪事と法を越えることを禁じられる。そしてあなた方が熟慮するよう、あなた方を戒められるのだ。またアッラーの約束を結んだら、あなた方はそれを遵守せよ。誓いを確実なものとした後に、それを破ってはならない。実にあなた方は(その遂行において)、アッラーをあなた方の保証人としたのであろう。実にアッラーはあなた方の成すことを、ご存知であられる。, (クルアーン16:90-91)

    更に神の使徒ムハンマドは、神がこのように述べたと語っています: 「わがしもべたちよ!われは自らに不正を禁じ、あなた方の間の不正も禁じたのだ。ゆえに互いに不正を働き合ってはならない。」 ( ムスリムによる伝承:2557.)

    ム市民に親切であるよう命じています。聖クルアーンはこう語っています: -アッラーは宗教ゆえにあなた方に戦いを仕掛けたり、あなた方を家から追い出したりしなかったような者たちに対して、あなた方が善行を施したり公正に接したりすることを禁じられてはいない。実にアッラーは公正な者を愛でられるのだ。, (クルアーン60:8)

    またムスリム以外の人の信仰にけちをつけるような言動も、禁じられます。そうすれば相手も報復として同じように返すでしょう。聖クルアーンにはこうあります: -そして彼らがアッラーを差し置いて祈っているものを、貶してはならない。そうすることで彼らが無知から、誤ってアッラーのことを貶してしまわないように。,( ( クルアーン6:108)

    そしてイスラームは、そのような人々とは慎重かつよい手法ででもって議論するよう指導しています。聖クルアーンにはこうあるのです: -言え、「啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、私たちとあなた方との間の正義の言葉へとやって来るのだ。(その言葉とは:)私たちがアッラー以外の何ものをも崇拝せず、かれに何ものをも並べたりしないこと。そしてアッラーを差し置いて、自分たちの内の誰かを主としたりしないこと。」それでもし彼らが(この期に及んでその言葉から)背くのなら、言うのだ:「私たちがムスリム(主に対して真に服従する者)であると、証言せよ。」, (クルアーン3:64)

    またイスラームはあらゆる社会的、政治的、倫理的腐敗や危害を禁じます。聖クルアーンはこう命じます: -そして大地が正常なものとなった後に、腐敗をもたらしてはならない。恐れと希望をもってかれ(アッラーのこと)に祈るのだ。実にアッラーのご慈悲は、信仰者たちの間近にある。, (クルアーン7:56)

    またイスラームは非ムスリムに対してイスラームを強制することを禁じています。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -あなたの主がお望みになれば、地上の全ての者が信仰に入ったであろう。一体あなたは人々が信仰者となるように強制するというのか?, (クルアーン10:99)

    但しこのことが神のメッセージを伝達することによって、他の人々をイスラームの信仰へと誘うべきではないということを意味するわけではありません。ムスリムは英知と思いやりの念、そして望ましい手法でもって人々をイスラームへと呼ぶべきです。イスラームは国際的伝道であり、いかなる地域的あるいは民族的呼びかけでもありません。しかし導きは神の御手にのみ委ねられており、人間の手によるものではないのです。

    またイスラームは協議でもって政治を執り行うよう命じています。協議の原理は聖クルアーンと預言者ムハンマドの慣習の中に、実際に垣間見ることが出来ます。神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -…彼らの間の諸事を協議でもって取り決め、…, (クルアーン42:38)

    またイスラームは、各人が有する諸権利を忠実に満たすことを命じています。そして人々の間の完全な公正さへと呼びかけているのです。聖クルアーンにはこうあります: -アッラーは、あなた方が信託をその権利主に対して果たすことを、そしてあなた方が人々の間を裁く時には、公正さによって裁くことをご命じになる。実にアッラーこそはその訓戒されることの恵み深いお方。アッラーこそは全てをお聞きになられ、全てをご覧になられるお方。, (クルアーン4:58)

    またイスラームは必要があれば力を用いてでも、不正や抑圧を被っている人々を援助することを命じています。この概念は次のような聖クルアーンの節の中でよく描写されています: -あなた方がアッラーの道において、または虐げられた男女や子供らのために戦わないのは一体どういうことか?彼らは(祈って)言う:「私たちの主よ、民が不正を働いているこの町から、私たちをお救い出し下さい。そしてあなたの御許から私たちに、守護者をお遣わし下さい。あなたの御許から私たちに、援助者をお遣わし下さい」, (クルアーン4:75)

    イスラームは公共の福利のために行政機構、あるいはその権威を設けています。先に述べたように、その犯罪行為を食い止める には力を行使する以外には方法がないようなある種の人々が存在する、という事実が存在します。このような中、イスラームの行政機構は全個人がそれぞれ有する適切な権利を享受することを請け負うのです。また人々の権利がいかなる侵害も受けることなく守られているかどうかを監査し、取り締まり、同時に法を破る者には相応の懲罰を適用します。この後に示すことは、この全行政機構を構成する様々なイスラーム的体系の概略です。